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有限会社 昭和水産
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| 愛媛新聞社 多田 良介 |
| 船団荒波を行く(トロール漁体験記)V |
= 3 = 「盛衰」
分厚い胸板、太い腕。口ひげも生やした中村哲二船長(49)は、いかにも船乗りといった風情だ。貨物船の乗組員を経て、20歳でトロール船に乗り込んだ。仕事のきつさから「トロ船だけには乗らん」と思っていたが、「魚を捕れば捕るだけカネになる」実入りのよさにひかれた。
「陸(おか)の3倍は給料があった。乗り始めてから10年ぐらいが一番よかったかな」24歳で土地を買い、25歳で家を建てた。いまの若手乗組員には望むべくもない人生設計だ。
「昔はよかった」「いまは最悪」。漁の合間、乗組員からこんな言葉をたびたび聞いた。ここで八幡浜トロール漁の歴史をたどってみる。
八幡浜市でトロール漁が始まったのは大正時代。同市出身の柳沢秋三郎(1877−1960)が島根県など先進事例を参考に導入に成功。効率的な漁法だったことから、向灘地区を中心に盛んだった打瀬(うたせ)網漁師の多くが一斉にこれに転換した。
後に盛んになるミカン栽培は、まだなかった時代。海幸丸を所有する「昭和水産」の宮本利之社長(59)は、八幡浜にトロール漁が定着した理由をこう説明する。「農業でやっていける他地域と違い、海に生活の糧を求めるしかなかった」
政府による規制で、戦前の一時期は姿を消したが、戦後、食料不足解消の役回りとして復活。48年には54隻の大船団を数えた。58年夏の甲子園大会に初出場した八幡浜高野球部には「トロール打線」の名が付いた。トロール漁は、港町八幡浜を象徴する産業になっていた。
一方で“一網打尽”の漁法が「海のギャング」と嫌われ、相次ぐ違反操業がいまも周辺漁民とのあつれきを生んでいるのも争えない事実だ。
年々伸びる漁獲量。各社は競って漁船の大型化に乗り出した。50年代の50トン木造船からほぼ10年単位で大型化を進め、90年前後に大半が現在の125トン鋼船を建造。ところが
91年を境に、それまで両魚種で全体量の20〜60%を占めていた主力のカワハギとヤリイカがぱったりと姿を消した。当然、この影響で全体の水揚げ量も激減した。
国内のトロール漁事情に詳しい水産総合研究センター中央水産研究所の松浦勉・動向分析研究室長(51)は「(主力魚種の)激減は自然変動の要素が大きい。ただ、その時期と大型船建造期が、不運にも一致してしまった」と分析する。
1隻数億円の建造費は過大投資となり、経営を圧迫。折しもバブル崩壊による消費不振と魚価の低迷が苦境に追い打ちを掛けた。廃業する会社が相次ぎ、トロール漁を営むのは現在、市内で4社だけになった。
「赤字経営を我慢しながら、資源回復を待つしかない」と松浦室長。八幡浜を支えてきた産業は今、こんな窮状にある。
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| (2004.5.4 愛媛新聞掲載) |
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