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人間を支える3本の柱

最近、読み返している城山三郎さんのエッセイの中から。アメリカの精神心理学に、こんな考え方があるそうです。

人間を支える柱は3つあり、その柱がしっかりと立っていなければならない。

その3つの柱とは、

セルフ(Self):自分だけの世界
インティマシー(Intimacy):親近性
アチーブメント(Achievement):達成

セルフは、自己だけで完結する世界で、本を読んだり音楽を聴くこと、坐禅をしたり思索するなど、個だけの世界の重要性をいいます。

インティマシーとは、家族や友人など親しい人たちとの関係、地域の人々や古い友人、知人など、自分が支えられている方たちとの良い関係性、親近性のことです。

アチーブメントは、つまり達成。仕事や趣味の世界で目標を立てて挑戦すること。こんな仕事がやりたいと目的をもって日々生きること。成長への意欲を高め、人間の支えに繋がります。

いわれてみれば、人間生活の上でこの3つの柱をバランスよく高めていくのは、本当に大切なことで、私たちの生活で使っている時間の大半は、この3つの何れかにあてはまるのではないでしょうか。もちろん何れかに偏り過ぎてはバランスを壊すことになって、人として弱いし、脆いということになるそうです。社会とより良い関係を築くとともに生活にリズムをもち、人間としての成長を目指すうえで、留めておくべき考え方、基準ではないでしょうか。

人生を照らす言葉

気がつけば海幸丸は今季7回目の入港・セリでした。予想通り、というか期待に反してというか、豊後水道のヤリイカは今年も育っておらず、例年と同じく鹿児島から宮崎中心の厳しい9月操業が続いています。残り2~3航海ですが、挽回に期待したいところです。

「致知」9月号にて、こんな言葉に出会いました。アップル創業者スティーブ・ジョブズさんのスタンフォード大学卒業式でのスピーチだそうです。これぞ名言!!


「苦しみのどん底に落ち込む時を一つの点とすると、私の人生には両親と離別したり、大学を中退したり、自分が創設したアップル社を追い出されたり様々な点があった。しかし、振り返ると、その点と点はお互いに繋がっていて、それはいま私が生きる上での大きな力になっている」

スティーブ・ジョブズ氏のこの言葉は人生を長い視点で捉えた場合、一つひとつの出来事はすべて意味を持って繋がっていることを私たちに教えてくれています。

「致知」9月号「人生を照らす言葉」鈴木秀子より

20代で求められるもの

20代で求められるのは、まず「体力」である。体力はその人が健康であるという以外にも、周りにいる知恵や手を貸してくれる人を誘い込む力を持っている。本人は意識せずとも、その力がお客さまや業者の方、仲間たちに及ぼしている影響は非常に大きい。その体力を元に「基礎と反復」を徹底して行うことが大切だと思う。

コート・ドール オーナーシェフ 斉須政雄(致知2012年8月号より)

おやじの弁当

古き良き日本の家庭像、親子の生き様を伝える話として、ある雑誌に掲載されたエピソードをご紹介します。その昔、貧乏に耐えてひたむきに勉学に取り組む人がいたそうで、彼が勉学に励むようになった動機こそ、ある日、目にした「おやじの弁当」だったといいます。

彼はある日、母の作る父の弁当を間違えて持って行ってしまった。彼曰く、「おやじの弁当は軽く、俺の弁当は重かった。おやじの弁当箱はご飯が半分で、自分のにはいっぱい入っており、おやじの弁当のおかずは味噌がご飯の上に載せてあっただけなのに、自分のにはメザシが入っていたことを、間違えて初めて知った。父子の弁当の内容を一番よく知っている両親は一切黙して語らず。肉体労働をしている親が、子供の分量の半分でおかずのない弁当を持ってゆく。これを知った瞬間、「子を思う親の真(愛)情」が分かり、胸つまり、涙あふれ、その弁当すら食べられなかった。その感動の涙が勉学の決意になり、涙しながら両親の期待を裏切るまいと心に誓った」という。(「致知」2009年1月号より)

現代では、経済的な豊かさと引き換えに、親子の絆、愛情のあり方が大きく変わってしまったことを改めて感じさせられます。「家庭は道徳を教える場、学校は常識を教える場」といわれますが、この話をもとに、子を持つ親がなすべき徳育について、また大人の日本人としての礼節について、今一度考えてみたいものです。

「八幡浜福祉だより」寄稿文より

縁を生かす

今年一年を表す漢字は、「絆」に決まったそうですね。たまたまですが、私の仕事机の前に掲げているのもこの「絆」!弊社会長!?の書でございます。苦難の一年でしたが、ふさわしい漢字です。がんばろう、日本!

先日の商工会議所青年部の講演会でも、DVDで紹介されたのがこちらの「縁を生かす」。
「致知」に掲載されたエピソードですが、ここ数年、手帳に張り付けて時々読み返しております。
良い話ですので、よろしければどうぞ!


その先生が五年生の担任になった時、
一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。
中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。

ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。 勉強もよくでき、将来が楽しみ」
とある。間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。

二年生になると、「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」
と書かれていた。

三年生では
「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」

後半の記録には
「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」
とあり、四年生になると
「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」


先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決めつけていた子が突然、
深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。

先生にとって目を開かれた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。

「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?
 分からないところは教えてあげるから」

少年は初めて笑顔を見せた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。
授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。
少年は自信を持ち始めていた。

クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。
あとで開けてみると、香水の瓶だった。
亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。

先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、
先生の胸に顔を埋めて叫んだ。

「ああ、お母さんの匂い! きょうはすてきなクリスマスだ」

六年生では先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。
そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」

それから六年。またカードが届いた。

「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、
 とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」

十年を経て、またカードがきた。
そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから
患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。

「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。
 あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、
 神様のように感じます。
 大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、
 五年生の時に担任してくださった先生です」

そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。

「母の席に座ってください」

と一行、書き添えられていた。

本誌連載にご登場の鈴木秀子先生に教わった話である。

たった一年間の担任の先生との縁。
その縁に少年は無限の光を見出し、それを拠り所として、それからの人生を生きた。
ここにこの少年の素晴らしさがある。

人は誰でも無数の縁の中に生きている。
無数の縁に育まれ、人はその人生を開花させていく。
大事なのは、与えられた縁をどう生かすかである。

『致知』2005年12月号 総リード

いのちの根

シーズンということで、昨日より東京から松山、明日は八幡浜に戻って午後は宇和島へ、と業界の総会・理事会&懇親会をはしごしております。やはりどの会合でも話題の中心は震災とその影響等々。まだまだ予測し得ない影響もいたるところであるようです。

今回の移動中はもっぱら池波文庫本と「致知」6月号。今月はいつもに増して印象に残り感銘を受けた章が多く、読み応えがありました。そんな中で、特に印象の残ったのが日本で唯一の刑務所内の中学校(松本市立旭町中学校桐分校)で教鞭をとった角谷敏夫さんのコラムでした。角谷さんは4月最初の授業を始める際、生徒に教科書、ノート、筆記具をわたした後、必ずこのように言うそうです。

「教科書を開いてにおいをかいでみてください。これが教科書のにおいです。この教科書は、字が読めない人がつくったのかもしれません。一日も学校にいくことができなかった人がインクにまみれて印刷したのかもしれません。皆さんはきょうからここで勉強ができます。一年間、ボロボロになるまで勉強してください」

そして、生徒たちが過ごしてきたつらい半生を思い、何の意味の説明や解説も加えず、相田みつをの次の詩を朗誦して入学祝いのプレゼントとするそうです。

いのちの根

なみだをこらえて
かなしみにたえるとき
ぐちをいわずに
くるしみにたえるとき
いいわけをしないで
だまって批判にたえるとき
いかりをおさえて
じっと屈辱にたえるとき
あなたの眼のいろが
ふかくなり
いのちの根が
ふかくなる

ちなみにこの詩は毎授業の際に朗誦するとのこと。
こんなコラムや詩に出会えるのも「致知」ならでは。本当にすばらしい雑誌です。毎朝、般若心経と合わせて朗誦したいくらいの詩です。ひとまず今日もメモついでにご紹介させていただきました。

司馬遼太郎記念館

昨日午前中は大阪中央市場の荷受業者を訪問、やはり話題の中心は震災の影響や今後の動向でしたが、風評の水産全体への影響は今後も予想がつかないようで先行きが心配です。他地域でもとにかく何から何まで自粛ムード、だけは勘弁してほしいとのこと。本当に同感です。そしてこちらが本題でしたが、先日協力させていただいた一夜干しの企画販売についても意見交換&これから改善すべき反省点諸々、こちらも貴重な情報をありがとうございました。

昼過ぎからは、かねてからの念願だった司馬遼太郎記念館へ行ってきました。数年前に安藤忠雄さん設計のもと自宅を記念館に改築したもので、高さ11mの壁面に並べられた蔵書は間近で見れば見るほど圧巻でした。そして何といっても庭に面した書斎!ここで数々の名作が書かれたことを想像すると、ゾクゾクします。今回はデジカメでも少々。

こちらが元のご自宅入り口、司馬さん自筆の表札も残されています。記念館はこの左側にあります。
残念ながら館内の書棚は撮影不可でした・・

庭の奥に見えるのが書斎です。

中はこんな感じでした。

そして夜は、前日お世話になったご一家にお招きいただいて、全国各地の美味しいお食事とお酒、そして貴重なお話をたっぷりと楽しませていただきました。次は八幡浜にお越しいただいて皆さまでお会いできれば、と願っています。思い出に残る楽しい夜をありがとうございました。

早くも明日は週明け、大阪でいただいたパワーを源に張り切ってまいります!!

精神的に大切なこと

昨晩もある八幡浜JC理事長さま(一人ですが・・)のご挨拶に感銘を受けたばかりなのですが、最近のマイブームは“西日本が東日本を支える、そのために、今できることを各自精一杯やる”です。まさに東郷さんの「各員一層奮励努力せよ」ですね。

今朝から2泊で下関へ。今晩入船予定の仁洋丸の荷揚げ・セリに行ってきます。漁獲はタイが中心です。フェリーでは週明けからの業務をあれこれ思案中・・、新年度も迎えますので、また気分を新たに試行錯誤!?してみたいと思っています。

こちら読んでいた本から少々メモ。

精神的に大切なことは、

①生きがいをもつこと
②何かを続けてやること
③常にまめであること
④社会への関心と興味を持ち続けること
⑤趣味をたくさん持つこと
⑥友人を持つこと
⑦ユーモアの精神を忘れないこと

だそうです。

続いて、

夫のすべき5カ条

①二人の記念日を忘れないこと(花、食事、贈り物)
②二人だけで外出をする(旅行)
③同じ趣味をもつこと
④花を贈ること
⑤二人の健康に気をつける

続いて、

妻のすべき5カ条

①奥様はおしゃれをする
②愛の儀式をする(記念日のシャンパン)
③聞き上手になる
④夫を過保護にしない
⑤人間ドックに二人で入る

だそうです。

「社長の手帳」(佐藤満著/グラフ社)より

皆さま、いかがですか。

ちなみに私は、明日誕生日、明後日は結婚記念日ですが、不在でございます・・

忘れたままでいたい歌

3月初回の航海も豊後水道南沖へ。今朝は中2日の操業を終えて5時半に帰港、魚種はいつものハモ、コウイカ、ホウボウ、アマギ等々でした。このところ売れ行き好調のホウボウは今朝も高値更新、重油が急騰する中、比較的近い漁場と安定した資源は貴重です。その重油は悪夢の2年前の水準に一気に近づきつつありまして・・、資材価格への影響も合わせて心配な情勢です。

考えられない悲惨な事件が相次いで起きています。昨日は読売新聞のコラムにこんな歌が掲載されていました。

若ければ道行き知らじ賂(まい)はせむ 黄泉(したへ)の使負いて通らせ (万葉集巻五)

山上憶良が幼いわが子古日を亡くして詠んだ歌だそうです。

幼い身ゆえに、黄泉への道も知りますまい。冥土からお迎えの使者よ、贈り物をします。どうか、おぶって連れて行ってやってください(3/5読売新聞「編集手帳」より)

息が詰まりそうになるほど寂しい歌です。こんな悲しい歌を思い出さなくて良い日が来ることを願うばかりです。

悩みのタネ

“悩みのタネ”はけっきょくいちばん大きな一つだけ!?人間はうまくできているものですネ!

たとえば、腕に一つの小さいできものができると、そのできものが非常に気になる。けれども、今度は腹の一部に大きなできものができたとなると、小さいものはもう忘れて、大きいほうだけが気になる。そういうものである。
悩みもそれと同じではないだろうか。常に一つに集結する。百の悩みをもっていても、結局、悩むのは一つ。いちばん大きなものに悩みをもつ。そういうものである。
私の今までの経験の中でも、同時に五つも六つも問題が起こったこともある。それぞれが悩みのたねである。どれもが頭の痛い問題である。しかし、そういう姿をくり返しているうちに、やがて、一つの悩みも十の悩みも結論は一緒だなということに気づいた。
結局、そのときのいちばん大きな悩みが頭を占めることになる。それで頭がいっぱいになれば、他のものはみな第二、第三になってしまう。そうなるから、またなんとかやってこられたわけである。十も二十も悩みがあって、それを全部同時に悩んでいたのでは、とても身がもたない。
ところが、うまい具合にそうはならない。いってみれば心の自然な働きとして、人間はいちばん大きな悩みだけしか悩まない。そうなっている。もちろん、それであとの悩みが解消してしまうわけではない。しかしそれほど心を悩ませない。そこで、人間はなんとかやっていける。生きていく道が生まれてくるのである。

「人を活かす経営」

松下幸之助「成功の金言365」(PHP)より

3つのケン消費

新年4日、今日午前中はこちらも恒例の青年会議所主催の新年祝賀会でした。第60代理事長の、落ち着いたすばらしい所信表明のご挨拶と八幡浜市長の年頭の辞を拝聴、今日から仕事始めという会社も多く、2011年の八幡浜も徐々に始動という感じであります。明日は魚市場も開市、恒例の鏡割り等の行事も行われますが、肝心の海幸丸の漁模様は今一つ、しかも故障のためにこれより深夜の入船・修理に入ります。幸先良く、とはなかなかないものですが、ペースアップしていきたいものです。

「モノが売れない理由は消費不況が原因ではなく、国内の生産年齢人口の急激な減少が要因であって、販売不振の原因を不況のせいにした瞬間、企業は思考停止に陥る・・」
先日、TVの討論番組で「デフレの正体」の著者、藻谷さんが、たしかこんな趣旨のことを言われていました。今日も賀詞交歓会で、地元の先輩と話していたのですが、厳しい時代こそ企業は改善すべきことがたくさんあるはずで、あらためて思考停止に陥らないよう気をつけねば・・と感じた次第です。

もう一つ、こちらは新聞記事(日経新聞1月1日)からですが、モノが売れない理由はたんにモノ余りなだけではなく、消費者の価値観やライフスタイルが変化しているから、とのこと。そこで最近の消費性向は、「堅」「賢」「嫌」の3つのケンに象徴されるそうです。まずは内食ブームに代表される“堅実に”、次にカーシェアリングのように必要な機能を“賢く”、そして最後は消費そのものに憧れが乏しく、収入に応じた支出をしない“嫌消費”・・というのが最近の消費者の傾向を表す3つの特徴だそうです。そのわずかな隙間を縫って消費者を動かすには、“価値を納得させるしかけが不可欠”とのこと。

まさに“言うは易し、行うは難し”・・ではありますが、今年は私たちも魚食という分野で、超高齢化社会を見据えた新しい取り組みをこれまで以上に進めていかねば、と感じております。素材とアイディアだけはいろいろありますので、あとは実践あるのみです。皆さんで知恵を出し合いましょう!

ひこばえ

皆さま、新年おめでとうございます。
今日はさすがに年末の疲れで昼間はゆっくりと、腑抜けのようなだらしない時間を過ごしておりました。その反省から夜は毎年恒例の予定の整理を少々・・、さすがにゆっくり休んだおかげで今日ばかりは夜型人間に変身です!

今朝の産経新聞で知ったのですが、古い根から出てくる新芽を“ひこばえ”と言うそうです。美しい日本語ではないでしょうか。昨年ちょうど鶴岡八幡宮の大銀杏を見る機会があったのですが、樹齢千年の瀕死の巨木から生まれてくる新芽(ひこばえ)には、神秘の世界を感じました。どんな苦境にあろうとも、根さえしっかりと生きていれば、自然界では蘇生が可能という証のようです。今年も引き続き変化の激しい1年になりそうですが、根と幹のしっかりとした人、そして会社を目指したいものです。

本年も一年、皆さまのご指導をどうぞよろしくお願い申し上げます!

盛衰の鍵は飽くなき革新にあり

少々トラブルもあって海幸丸は昨晩入港、今朝は4:30から荷揚げでした。今朝は今季一番の冷え込みで、さすがに相場も少しだけ高騰。次の航海もまずは同じだけの漁を確保したいところです。その前に安全操業のため、再度、“注意”も徹底いたしましょう!!

仕事においては、あたりまえのことをあたりまえにやる。少しでも工夫や改善を加えてより良い方向へ、皆が目指す方向を一つにして協力して行う。すべては誰か一人のためではなくて、これからのより良い会社運営のため、ひいては私たち皆の将来のため!!なのですが、近視眼的なエゴ(というか自我?)が出てきますと、せっかくの良い工夫や改善策、チームワークも水の泡・・ですね。気をつけたいものです・・。

今読んでいる「致知」の1月号のテーマは「盛衰の原理」!

中央大学時代には司法試験を目指していたという喜代村(すしざんまい)の木村社長の記事では、「経営者として従業員の皆さんに求めること」として、「お客様に良い印象を与える八つのポイント」を挙げて、次の八点の回数を最大限多くするように、徹底しているそうです。

一、挨拶の回数
二、笑顔の回数
三、返事をする回数
四、キビキビ行動する回数
五、相手の目を見てうなずく回数
六、声の大きさ、明るさ
七、相手を褒める回数
八、料理の評価を伺う回数(いかがでしょうか、いかがだったでしょうか?と心を込めて行う)

この回数が多ければ多いほど、お客様は、「すしざんまいは感じの良い店だったな」と好印象を抱いて帰られるとのこと。

「盛衰の鍵は飽くなき革新にあり」だそうです。

いくら時代が変わっても、支障がないから何十年も同じ仕事のやり方を変えない・・!のはまぎれもなく、“衰退”・・なんですね!

お客様の視点、時代に合わせて仕事のやり方を常に改善していく意欲と工夫、そして試み。

これこそが、まずはあたりまえことがあたりまえにできる、あたりまえの会社に近づく、第一歩ではないでしょうか!!!

誰も傷つけなかった草よ

連日の時化、昨日から気温が一気に下がりました。魚の相場に影響するのは明日の売りくらいからでしょうか。海幸丸は高知沖から古満目沖に移動して操業、明日早朝に入港予定です。今日は所用で松山を2往復、これから久しぶりにJRで出かけます。普段はこの夕方の在来線(登り)は利用しませんので、違った景色が見えそうです。

のろくてもいいじゃないか
新しい雪の上を歩くようなもの
ゆっくり歩けば
足跡が
きれいに残る

星野富弘

「雪の道」―「鈴の鳴る道」 偕成社 1986年より)

人は身体が不自由になった時、心で生きる。
人は身体が動かなくなった時、心で世界を見る。
心が身体のぶんまで生きる時、心は言葉に魂を投影させる。だから、その言葉はいのちの輝きを持つのだ。

「言葉の力、生きる力」(柳田邦男著/新潮文庫)より

元裕先廉

今朝は海幸丸今季2度目の入船でした。今回は宮崎沖から豊後水道にかけての漁でしたが、アカムツ、メンタイ、レンコダイ、マダイも少しずつ揚がりました。例年に増して!?かなり控えめなスロースタートですが、ヤリイカの成長とともに後半戦に期待したいところです。毎年ですが、“値付かず”の売れ残りもたくさん出ていますので、今晩はたっぷりと魚を堪能したいと思います。

「元裕先廉」(げんゆうせんれん)という言葉を初めて知りました。今月の「致知」に出ていたのですが、「仕入先からは若干高い値段で仕入れ、お客さまには安く売る」という意味だそうで、江戸時代から続く老舗提灯店で、浅草寺雷門の大提灯も製造している高橋提燈さまの家訓だそうです。もともとは扇子問屋を営んでいた同店ですが、扇子と提灯は材料(竹と紙)もほぼ同じで既存の技術が生かせること、扇子は夏だけの需要なのに対し、提灯なら通年で需要があるという理由から江戸末期に提灯作りに業種を転換しました。
以来、明治、大正、昭和と順調に家業を営んできましたが、太平洋戦争中は灯火管制や祭りの自粛で提灯がほとんど売れなくなった苦難の時代もありました。そんな苦境の折にも職人を解雇することなく、当主自らは軍需工場で事務仕事をしながら、土地や家財を売り払って家族と職人を養ったそうです。「うちの仕事はすべて手仕事なのだから、誠実にコツコツとやりなさい」という先代の教えも、家訓「元裕先廉」を忠実に守っての考えだそうです。
13代社長高橋康二さんが「手作りを守る」と題して語っている文章が、とても印象に残りましたので掲載してみます。これぞ地場の中小零細企業、また伝統的なものづくり企業の原点ではないでしょうか。

手作りを守る

現在、提灯作りをしている業者の九割五分ほどが、外国で一部の作業を行ったものをもとに作っています。私はそれではいけないと考え、すべての工程を自分のところで行っています。一貫生産で、しかも手作りです。手作りを忘れたら提灯作りはだめだと思います。これがものづくりの原点であり、その原則は小さな会社でも大きい会社でも、ものづくりをする会社でも同じではないでしょうか。
そのため、担い手である職人を育てることも私の仕事の一つです。ですから、社長とはいえ、給料はそれほど多くはありません。
というのも、私が利益を多く取ってしまったら、現在いる25人の職人を満足のいくように養い育てることはできないからです。利益が出たら分かち合う―そういう精神でやってきているからこそ、職人も育っているのです。「元裕先廉」の精神は、仕入先やお客さまに対してだけでなく、社員に対しても必要なことなのです。
提灯作りにしても、経営にしても、これで100%という状態は絶対にあり得ず、さらに上を目指して取り組んでいかなければなりません。ですから、勉強もまだまだ必要です。弊社の商売の原点である「元裕先廉」の精神を忘れず、これからも勉強し、提灯作りの伝統を守っていきたいと思います。

「致知10月号」(三百年続く老舗の教え)より

3人のレンガ職人

両社ともに決算月が近づいていまして、月末に向けていろいろと業務も集中しております。が、明日よりテヤテヤウェーブの準備、12日が踊りの本番で15日の花火がフィナーレです。出入りが激しそうですが、お墓参りにも行って!?熱中症にも気をつけて、乗り切りたいと思います。

少し良い話をご紹介、「3人のレンガ職人」という話です。
もともとはイソップの寓話だそうですが、日々の仕事や経営を考える上で実に深いお話ではないでしょうか。

ある旅人が道を歩いていると、3人の職人がレンガを積んでいるのを見かけました。そこで旅人はそれぞれの職人に同じ質問をすることにしました。

「何をしているのですか?」

1人目の職人はこう答えました。
「見れば分かるだろう、レンガを積んでいるんだ」
給料は安いんだが仕方がない、と不満げな様子です。

2人目の職人はこう答えました。
「ここに大きな壁をつくっているんだ」
最初の職人と違い、テキパキとレンガを積んでいました。

3人目の職人は、最もイキイキと働いています。旅人はこの職人にも同じ質問をしました。
職人は胸を張って答えました。
「歴史に残る偉大な大聖堂をつくっているんだ!ここで多くの人が祝福を受け、悲しみを払うんだ!」

「会社を救う 5つの社長力」(ビジネス社)より

3人の仕事はまったく同じ、でも3人の職人それぞれにとっての「意義」はまったく異なります。
しっかりした理念や社会的な使命を土台に積み上げられる仕事は尊いですし、必ずや続いていくべきです。
理念を語り、意義を伝える、とても大事です。

弊社の「一魚一会」も、ただの“飾り”にならぬよう、地に足をつけて精進したいものです!!

巧言令色、鮮なし仁

この時期は毎年恒例ですが、会社では今日から3日間、来漁期(9月から翌年5月)乗船予定の皆さんとの契約更新が始まっています。いろんな理由で下船される乗組員もいますが、海幸丸ではここ数年、乗組員の出入りも少なく、比較的安定した乗船契約が維持できています。ただし、平均年齢が年々上がっていくのが長期的には重大な問題なのですが・・。自衛隊ではないですが、若手幹部乗組員の確保・育成が当社の喫緊の課題でもあります。来たれ、幹部候補生!情報お待ちしております!

仕事場の掲示板に書いて眺めている「今月の言葉」、月に一度か二度、書き換えていますが、今日はこちらを選んでみました。

子の曰く、巧言は徳を乱る。小、忍びざれば、則ち大謀を乱る。

先生がいわれた、「ことば上手は徳を害する。小さいことにがまんしないと大計画を害する」

「論語第八・衛霊公第十五(岩波文庫版)」より

「致知」(7月号)には「呻吟語」に出てくる言葉としてこんなことも載っていました。

第一級の人物は「深沈厚重」、二級は「磊落豪雄」、三級が「聡明才弁」である。

巧みな言葉には要注意!との教えですが、メディア映えする政治家の言葉にも気をつけたいものです。外面的な装飾としての巧言よりも、口下手でも言葉の重みを大切にしたいものです。「剛毅木訥」、「文質彬彬」もこれに近い意味のような気がします。

今日はいよいよ無敵艦隊、スペインの登場ですね。後半まで目が持つか、また微妙です・・。

忍辱(にんにく)

大型連休、こちら四国は真夏日の快晴が続いています。昨日は無事に法要も終わりましてようやく一息、また多くの皆さまにお世話になりました。ありがとうございました。高知沖の海幸丸は操業3日目に入っていまして、明日が初めての入港となります。高知沖は漁場が遠いため、通常中3日の航海となります。シロムツ、カマスを中心に約2,000箱を水揚げ予定です。

2,3日前でしたか、テレビの報道番組で元弁護士の中坊公平さんの特集をやっていまして、はじめてこんな言葉を知りました。

忍辱(にんにく)です。もちろんガーリックのニンニクではありませんで・・

大乗仏教が説く六波羅蜜(6つの実践)の一つだそうで、この世のいかなる困難や辱めをも甘んじて受け、自らの修行の機会と捉えて、機会を与えてくれたことに感謝の念を持つことを意味する用語だそうです。つまりは、どんな困難にも静かにじっと堪えて耐え忍ぶこと、という意味のようです。

中坊さんは、森永ヒ素ミルク事件や豊島産廃訴訟を手掛けた弁護士で、無報酬で住専整理回収機構の社長としてバブルの後始末にも奔走した方で、当時は「総理にしたい人ナンバー1」にも選ばれた、あの人です。今回の報道番組で、かなり久しぶりにテレビで拝見した気がします。数年前に住専機構社長時代の部下の違法取り立ての責任を取る形で弁護士を廃業、現在は週に2日程度、知人の会社の相談役を務めながら、自ら「忍辱の日々」(↑)を送っているとのこと。

一時はメディアでかなり持ち上げられた中坊さんですが、80歳を超えた今は全人生を賭した弁護士も廃業して、世間のはずかしめから耐え忍ぶ日々なのだそうです。視聴率や人気一辺倒のメディアの功罪がこんなところにもあるんですね。それでも過去にいろんな大きな仕事で活躍したわけで、悠々自適の生活を送っても良さそうなものですが、自らそんな生活に安住しないのがまっすぐで愚直な中坊さんらしいという気がします。こんな男らしい生き様もあるのかと、番組を見ながら感服した次第です。すごいですね。鬼平、バンザイ!

何気なく見た夕方の報道番組(どこの局か忘れましたが・・)でしたが、とても良い内容でした。

以前にもこのブログで掲載したこともありますが、中坊さんの住専機構社長就任にあたっての経営信条を再度掲載いたします。どれも心に響きます!!

<公正な経済社会を実現するための10か条>

企業のトップは、

一、歴史の批判に耐えられる長期かつ基本的な視点をもって行動を

二、着手先行型でなく、理念先行型で出発しよう

三、目的を達成するための手法こそ重要との認識を

四、経営の根幹は道理(公正)と透明性を軸に

五、血も涙もない手法をとってはならない

六、戦いに臨むにあたってはまず自らの退路を断て

七、闇の世界と絶縁するためには「わりに合うか」どうかという基準で物事を判断してはならない

八、目先の利益にとらわれて「汚い人間」と手を結ぶな

九、企業を透明化することを恐れてはならない

十、お客に接する時は企業ではなく「家業」の心構えで

中坊公平

さだめて道にあり

荷揚げ他、午前中の仕事をを終えて午後一番の便で上京しました。早朝ジョギング用のシューズを持参しようと思い準備したものの、荷物になるのを想像するとうっとうしく感じられ、空港に停めた車に置いてきてしまいました。明日、明後日はサボリ決定です。今日は(次男作)世界の名画第2弾、モディリアーニの登場です!まだ未完成のようですが・・

私事で大変恐縮なのですが、気づけば今日3月25日は結婚10年目でした!
引き続き実感はあまりないのですが・・、いや~、ただただ早いものですね~。

とりあえず、アニバーサリー万歳!(出張中のため、一人で乾杯!)

今月の職場の一文にはこちらを書いてみました。「道」の概念、捉え方も様々ですが、常に自らの「道」を探し求めたいものです。

道徳決定着人和事的盛衰

物の興廃は総じて人に由る 人の昇沈は定めて道に在り

空海

天下の大患は

朝から友人の紹介で山陽小野田市の水産会社を2社ほど訪問して、夕方の別府発フェリーにて戻ってきました。いろいろと情報をいただきましたので、また明日からの業務に役立ててまいりたいと思っております。夜になりましたが、プチ“豆まき”をして“恵方巻き”もいただきました。

天下の大患は、其の大患たる所以を知らざるに在り。いやしくも大患の大患たる所以を知らば、いずくんぞ之が計を為さざるを得んや。

安政5年(1858年)正月「狂夫の言」

(訳)世の中の大いに憂うべきことは、国家が大いに憂慮すべき状態にある理由を知らないことにある。仮にもその憂慮すべき事態になる理由を知れば、どうしてその対応策を立てないでいられようか。立てるべきである。

「吉田松陰名語録」(川口雅昭著/致知出版社)より

国家、企業、個人、何れにもあてはまる教えです。玉虫色、うやむや決着、先送り、見て見ぬふりに事なかれ・・、ついつい陥りがちな傾向です。

私たちも“ゆでガエル”にならぬよう、早めに目覚めて気づかねば・・

空の境地

なぜか休日のように静かな金曜日です。海幸丸は久しぶりに宮崎沖まで足を延ばして操業しております。昨日は、社内のデータ共有システムを整備していただきました。ついでに直売店トロール市でのPCを使った顧客管理についても相談を少々・・。日々、魚を大量に扱うお店で水気や湿気も多いため、これまではPCを使った顧客情報や受注管理は対岸の本社事務所で行っていたのですが、さすがに手間と時間がかかるため、少し改善をしてみることにしました。改善といっても、店舗裏に端末とプリンタを置けるスペースを設けるだけなのですが・・

大忙しの年末も終わって店は閑散期に!?入ってしまっていますので、この時期を利用して、少しずつでも環境を整えておきたいと思っています。ハードと並行して、リピータを取り込むべく、新しいメニューや企画を提案していくのも閑散期の大切な仕事です。年明けから、流通事業の人員も少し新体制になっているのですが、在庫管理や販売方法などの点でいろんなアイディアが出て、担当間でも前向きな協力体制が取れてきているのは本当にうれしいことです。

業界環境も大きく変わっている時代だけに、旧態からいかに脱却をして組織の柔軟性を保っていくかが、大きな課題といえます。商品やサービスについても、提供する側とされる側(お客さま)では、情報の認識にも大きなギャップがあるだけに、その差を埋めていく“仕掛けづくり”も大事ではないでしょうか。よく言われますが、すべてにおいて今や“現状維持は後退”です。

ちょうど今読んでいる本にも紹介されていますが、サムエル・ウルマンの青春論というのは良いですね。

曰く、「青春とは人生のある期間を言うのではない。創造力や情熱、冒険心みなぎる心の様相を青春という。年を重ねても人は老いない。理想を失ったときに初めて老いるのだ」と・・。

つまり、現状に安住して変化を嫌い、固定観念で頭がいっぱいになってがんじがらめになった状態を「老いた」と言い、それに気がつかず、人の言うことが聞けなくなって自己主張ばかりが激しくなる、この状態こそが「老害」というそうです。老害に陥らないためには、頭の隅を常に“空の境地”にしておくことが大切とか・・。この青春と老害の差は年齢なんかでは決してない、常にそう思いたいですね。

こちらは社内の協力体制構築のために登場した「NAS1号」!那須(なす)でも人工衛星でもありません。
まだまだ原始的な活用法ですが、徐々に整えてまいりますのでどうぞヨロシク!

フランクリンの13の徳目

どんよりと曇りの一日、気温も徐々に下がってきました。今日は終日、年末の準備諸々に追われていました。そろそろ、売り出し準備も進めねば・・。海幸丸は今晩入船、夜“揚げ出し”して、もう一度週末の入港を目指して操業の予定です。今晩は今年最後のJC理事会です。

昨晩、寝る前に読んでいた雑誌「致知」にすばらしい文章が載っていましたので、メモしておきます。ベンジャミン・フランクリンは実行すべき良い習慣を、原則としてまとめ手帳にチェック欄を作って毎日実行できたかどうかを記録したとのこと。正しい行動は何よりも良き習慣から、ですね。私もまずは手帳にチェックです!!

1.節制 頭が鈍るほど食べないこと。酔って浮かれだすほど飲まないこと。

2.沈黙 他人または自分自身の利益にならないことはしゃべらないこと。つまらぬ話は避けること。

3.規律 自分の持ち物はすべて置くべき場所を決めておくこと。自分の仕事はそれぞれ時間を決めてやること。

4.決断 やるべきことを実行する決心をすること。決心したことは必ず実行すること。

5.節約 他人または自分のためにならないことに金を使わないこと。すなわち無駄な金を使わないこと。

6.勤勉 時間を無駄にしないこと。有益な仕事に常に従事すること。必要のない行動はすべて切り捨てること。

7.誠実 策略を用いて人を傷つけないこと。悪意を持たず、公正な判断を下すこと。発言する際も同様。

8.正義 他人の利益を損ったり、あたえるべきものをあたえないで、他人に損害を及ぼさないこと。

9.中庸 両極端を避けること。激怒するに値する屈辱をたとえ受けたにせよ、一歩その手前でこらえて激怒は抑えること。

10.清潔 身体、衣服、住居の不潔を黙認しないこと。

11.平静 小さなこと、つまり日常茶飯事や避けがたい出来事で心を乱さないこと。

12.純潔 性の営みは健康、または子孫のためにのみこれを行って、決してそれにふけって頭の働きを鈍らせたり、身体を衰弱させたり、自分自身、または他人の平和な生活や信用を損わないこと。

13.謙譲 キリストとソクラテスにみならうこと。

「フランクリン自伝」中央公論社(致知1月号掲載)より

鬼の親は仏 仏の親は鬼


稲荷山公園へ

昨晩は魚市場の若手グループでの飲み会、その名も“竜平会”・・にお誘いいただきました。いろんな話題で盛り上がりましたが、弊社の行っている「お魚さばき方教室」に進め方にも貴重な意見をいただきました。毎日のように、魚に接して、埋もれて?生活していますと、魚そのものに対してもつい売り手の視点から「仕事の素材」のような感覚で捉えてしまって、消費者の視点・目線を忘れがちになっていることに気付かされます。あらためて消費者の視点に立って、魚食普及と食文化を考えたいものです。

もちろん昨夜はそんなことを考える堅苦しい飲み会ではなくて、どちらかといえば、イケイケドンチャン系!?の集まりでしたが、そんな中でもいろんな人の仕事への姿勢や考え方、人間模様、もちろん好みの異性?までもが見てとれて、なかなか面白いものです。意識と興味さえ持っていれば、こんな飲み会からでもいくらでも学ぶことができるし、仕事人としても磨かれる・・ハズ!?これぞ「衆人皆師也」ですね。

今日は久しぶりに何も予定のない土曜、といいましても子供たちの小学校は「インフルエンザ」のため、学年閉鎖中で、人ごみの中には行けないらしく、それならばと隣町まで紅葉を見にドライブしてきました。毎年一度は訪れる「稲荷山公園」です。真っ赤な見ごろはまだ先のようですが、青葉の残る紅葉も若い息吹を感じさせてくれて良いものです。BGMのカラオケ大会は想定外でしたが・・


こちらは「致知」に掲載されていたキッコーマンの茂木会長の座右の銘だそうです。「大学」の「忠信以て之を得、驕慢以て之を失う」にも通じる、とても良い言葉です。早速手帳とボードにチェックです。

成名毎在窮苦日敗事多因得意時

「名を成すは常に窮苦の日に在り、事に敗るは多く得意の時に因る」

海幸丸の漁模様は今一つのようですが、本夜半入港、荷揚げをして出直す予定です。

少にして学べば

今日は中央休市の関係で入船なし、終日いろいろとデスクワークでした。決算も両社ともにほぼ確定ということで、計画書にも数値を反映、見直し等もしてみました。今流行の“可視化”、“見える化”ではないですが、見えないものを無理やり?見えるようにする努力も必要かと、毎年この時期に中期計画を作成・修正しております。たとえ暗黒の海でも、海図や羅針盤はないよりもある方が心強いはず・・ですので!

「言志四録」といえば、何をおいてもこの一節、ですが、これまで掲載したこともなかったように思いますので、記録・復習しておきます。

少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り。
壮にして学べば、則ち老いて衰えず。
老いて学べば、則ち死して朽ちず。

佐藤 一斎

少年時代に学んでおけば壮年になってから役に立ち、何事かを成すことができる。
壮年のときに学んでおけば老年になっても気力の衰えることはない。
老年になって学んでいれば、知識も一層高くなり、社会の役に立つこともできるから、死後もその名が朽ちることはない。

「言志四録」を読む (井原隆一著/プレジデント社)より

学びの本来の目的、あり方は、受験や昇格、資格などには決してなく・・、これぞ身を修める、修養の大切さ、普遍性を表した究極の名言ではないでしょうか。

いや~、合掌!

もう少々マッタリとして、今夜はこれより入船・荷揚げ!海幸丸は、もう一航海の操業を経て月末休みに入る予定です。

実力他力

昨晩は23:00過ぎ入港、荷揚げを終えて出港は1:20でした。ヤリイカの水揚げはやや弱まって今朝は800余りでした。ヤリイカの漁場でも少しずつ混ざる丸魚ですが、航海日数も短いだけに鮮度も上々!ただし、まだまだ相場のほうがついて来ないのが残念ですが・・。

今朝はこんなキンキンのアマギ(エボダイ)もありました。年明けからもこの鮮度のアマギが揚がってくれることを期待しています。

今日はこちらの一文にチェック!

天を以て得るものは固く、人を以て得る者は脆し。

佐藤一斎

天然自然の力によって得たものは強く固く、人の知恵や力によって得たものはもろい。

「言志四録を読む」(井原隆一著/プレジデント社)より

簡単にいえば、養殖魚よりも天然もののほうが味が良い、という意味でしょうか?

違うか??

人 道を弘む

今日は久しぶりに終日八幡浜でした。これより一件来客、夜はJCの経済セミナー、明日は年一回、恒例の安全操業協議会のため宿毛まで出かけてきます。

あっという間に解禁日を迎える8月が到来しました。今日は手帳やカレンダー等々、月間スケジュールも整理しました。今月の言葉は、論語(衛霊公)からこちらを選びました。一月の間、毎日見ながらかみしめたいと思います。

子曰く、人能く道を弘む。道 人を弘むに非ず。

<現代語訳>

老先生の教え。人間が(努力して)道徳を実質化していくのであって、道徳が(どこかに鎮座していて、それが自然と)人間を高めていくわけではない。

「論語」(講談社学術文庫/加地伸行訳)より

公明日月の如し

「公明日月の如し」

「公明な行いは日月のようであって、何も隠しだてすることがない」

という意味で、開戦時の蔵相、戦後は法相を務めた賀屋興宣氏の極東軍事裁判判決時の遺書(辞世の一句)です。今晩は、久しぶりに神保町で買い集めた秘蔵の戦史図書をパラパラ眺めておりました。
BGMは「ヨハネ受難曲」・・、我ながら趣味イマイチか!?

明日も張り切っていきましょう!

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ちなみにこの賀屋氏、あの山本五十六と鼻血を流す殴り合いまで演じたという熱血漢!
いろんな政治家の回想録にもたびたび登場する、筋金入りの官僚型政治家です。

士にして居を懐うは・・

今朝、ネットで知りましたが、やはり昨夜のウィンブルドンは予想を上回る超激戦!だったようですネ。残念ながら、昨年に引き続き“世紀の名勝負”を見逃してしまいました。近ごろ、睡魔への耐性もどんどん弱くなってきたのは年のせいか、それとも日中の陽射しと蒸し暑さのせいでしょうか?明日は朝から再び上京、赤坂で開催される「漁船漁業改革活性化シンポジウム」に参加してまいります。

ここ1年ほど「論語」のお勉強に!?と、毎月、仕事場の予定表(ボード)に目に留まった一文を記すことを月初めの日課としています。
こうすれば論語も少しは私の脳にも残るかも、と思いまして・・

今月は「憲門第十四」よりこちらの文章を記してみました。

「子曰く、士にして居を懐うは、以て士と為すに足らず。」

岩波文庫の解釈によれば、

「士人でありながら安住の場を慕っているのでは、士人とするには足りない。」

一方、講談社版によれば、

「職務に精励すべきであるのに、己の生活の安楽を思うような者は、できる士(おとこ)とするに足らない。」

となります。

「士人」の解釈はなかなか難しいですが、何といっても日本でいえば、士(さむらい)でありますから「志高きもの」、「常に上を目指すもの」、つまりは「君子」といったところだと、(勝手に)解釈しています。つまりはそういう立場にありながら、“居をおもう”、つまり、“安住の場を求める”というのでは、士人とはいえない、いうことです。

私たちの関わる経営や日々の仕事においても、よほど注意していないと、ついつい“変わりないこと”に安らぎを感じてしまう傾向に陥りがちです。その方が、変革に身をさらすよりも明らかに“楽”ですし、頭を使ったり、変わるために行動を起こす“パワー”も必要ないわけですから・・。
日々の仕事の手法、進め方など小さなことから、事業構造転換や経営革新にいたるまで、本来必要な、ありとあらゆる“変革”が、この“居をおもう快適さ”に屈してしまい、ついには全体としての環境適応力を弱めてしまう、多くの組織やプロジェクトでよく見受けられる例ではないでしょうか。

もちろん弊社においても・・です。時代がここまで激変しているにも関わらず、これまで通りの仕事の進め方、考え方、思考回路では、まさに私たちは“ゆでガエル”そのものになってしまいます。良い風習・しきたりは当然大切にすべきですが、将来のために変えるべきところはいかなる抵抗があろうとも、トップの号令と責任のもと、徹底的に変える・・!!結局はそれが組織の将来、つまりは私たちみんながハッピーであり続けるための方策ですので・・

すみません、書いているうちについつい肩と筆・・いえ指に力が入ってきました。
このままでは眠れなくなってしまいそうです・・

昨日はおめでたい披露宴にもお招きいただいたことですし、今晩は、エリー・アーメリングのシューベルトで少し心を落ち着けて休みたいと思います。

おやじの弁当

以前、「月刊致知」(1月号)に掲載されていた中條高徳さんのコラムに「おやじの弁当」というのがありました。私は子供のころは泣き虫でしたが、大人になってからは、少々のことでは泣かない(泣けない?)性分。たまたまこの文章を読んだのが新幹線の中だったのですが、さすがに居場所を忘れて泣きそうになったのを覚えています。

この話の元は、国学院大学教授の故・樋口清之さんの随筆で、戦前の家庭の姿、親子の生き様を伝える話として「月刊致知」で取り上げられています。その昔、樋口さんの友人で、貧乏に耐えてひたむきに勉学に取り組む人がいたそうで、彼が勉学に励んだ動機こそ、ある日、目にした「おやじの弁当」だったそうです。今では、富(経済的な豊かさ)と引き換えに、「親子の絆」、「愛情のあり方」が大きく変わってしまったことを改めて知らされるお話です。

彼はある日、母の作る父の弁当を間違えて持って行ってしまった。

彼曰く、

「おやじの弁当は軽く、俺の弁当は重かった。

オヤジの弁当箱はご飯が半分で、自分のにはいっぱい入っており、

オヤジの弁当のおかずは味噌がご飯の上に載せてあっただけなのに、

自分のにはメザシが入っていたことを、間違えて初めて知った。

父子の弁当の内容を一番よく知っている両親は一切黙して語らず。

肉体労働をしている親が、子供の分量の半分でおかずのない弁当を持ってゆく。

これを知った瞬間、「子を思う親の真(愛)情」が分かり、胸つまり、涙あふれ、その弁当すら食べられなかった。

その感動の涙が勉学の決意になり、涙しながら両親の期待を裏切るまいと心に誓った」(致知1月号より)

すきまいがか?

つい先ほど東京より帰浜、今回は業界(全国沖底連)の総会&情報収集いろいろ・・でした。
帰りに新橋の瀬戸内旬菜館に立ち寄ったのですが、“じゃこてん実演”のコーナーでの一コマ、

お客のおばさん:「ねぇねぇ~、ちょっとお兄さん、スキマってなぁに?」

店員のお兄さん(と私):「・・??・・!!」

“す巻き”(す巻き)のことでした・・


人間の脳とは面白いもので、言葉の最初と最後も文字さえ合っていれば、自然に文章を認識できる、というか、してしまうんだそうですね~。
先日、八幡浜JCのブログにてこんな文をご紹介いただきました。面白いですヨ!

こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。
この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか
にんげん は もじ を にしんき する とき その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば
じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて
わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。
どでうす? ちんゃと よゃちめう でしょ?
ちんゃと よためら はのんう よしろく

皆さん、いかがですか?普通に読めますよね。いや~、おしもろいですね!!

狎れず溺れず

夕方、白浜小学校まで鉄棒の特訓に行ってきました。私ではなくて子供たちの、ですが。私たちが子供のころ慣れ親しんだ大きな遊具も老朽化してしまって危ないせいか、先日撤去されたようです。そういえば“うんてい”も消えてたような・・。ただでさえ閑散としている小学校のグラウンドが、ますます寂しくなっていました。全国的とはいえ、人口減少は教育環境も大きく変えてしまっているような気がします。

私の固い頭をますます固くしている言志四録、就寝前に読むことが多いのですが、日本の誇る古典です。
もう少し読み込めば、頭もきっと柔らかくなると思います。たぶん。

火は親しむ可くして狎る可からず。
水は愛す可くして溺る可からず。
妻妾を待つには、宜しく是の如き看を著くべし。

佐藤 一斎

火は親しむことは良いけれど、なれて禍を起こすようなことがあってはいけない。
また水は愛することは良いけれど、溺れるようなことがあってはいけない。
妻や妾に対するにはこのような観点を十分に身につけていくべきである。

<佐藤一斎「言志てつ録・百六十五」久須本文雄訳>(講談社)より

なるほど、いい言葉!!

別に深い意味はありませんので・・

私、明日より一泊にて東京です。

曲がっていればこそ

最近、社内にいることが多くて、個人的にはなかなか落ち着かない状態!が続いています。やっぱり外に出て活動している方が仕事をしているなぁ、という実感は湧くものですが・・。当面はこの状態が続きそうですので、今しかできない、“環境整備”に注力したいと思っています。以前ご紹介した海幸丸、仁洋丸の休漁期(6月、7月)における、起死回生の仕事!ですが、今夏は残念ながら諸般の事情により取り止めとなりました。新たな有効活用策を研究していきたいと思います。

こちらは、今日昼休みに目にとまった岩波「老子」の第22章の訳です。「論語」や「大学」に比べて、作者の意思とか主張という色合いが非常に薄く、常に無の境地で力の抜けた自然体!?というのがこの古典の特徴でしょうか。

曲がっているからこそ全うでき、屈まっているからこそ真っ直ぐになれ、窪んでいるからこそ満ちることができ、破れているからこそ新しくでき、少なければこそ得られ、多ければこそ迷うもの。
そういうわけで聖人は、一なる道を抱いて世の中の人々が仰ぎみる模範となる。みずから見識ありとはしないから、ものごとがよく見える。みずから正しいとしないから、是非が彰かになる。みずから功を誇らないから、功がたもてる。みずから才知を誇らないから、長つづきする。
そもそも誰とも争わないから、世の中の人々は彼と争うことができない。いにしえの人が言った「曲がっているからこそ全うできる」とは、どうしてでたらめなものか。まことに、わが身を全うして天に帰すのだ。

「老子」(蜂屋邦夫訳注/岩波文庫)より

豊年の不漁、凶年の豊漁

午前中、家族でお隣大洲市のフラワーパークに出かけてみました。こんな感じで春爛漫、桜はとっくに終わっていましたが!そういえばここ数年、お花見もしてなかったです・・。

早朝に海幸丸より電話が入って明日入船とのこと、後半戦へ向けてピッチを上げていきたいところです。


つい先日、読んでいた雑誌「致知」でこんな言葉に出会いました。

「豊年の凶作、凶年の豊作」

どんなに好調な時でも、現状に満足して改善を怠っていては思わぬ結果(凶作)を招く、反対にどんなに厳しい状況(凶年)でも、日々努力を続けていけば活路(豊作)が見いだせるという意味です。

私たち漁業に置きかえれば、「豊年の不漁、凶年の豊漁」ということでしょうか。

自然が相手で、好不調の波が激しい漁業の世界!業況は運まかせで、日々の小さな努力や改善の積み重ねをついつい怠ってしまいがちな業界に身をおく私たちが、常に肝に銘じるべき言葉ではないでしょうか。

「豊年の不漁、凶年の豊漁」

手帳にチェックです!!

義を見て為ざるは勇なきなり

いろいろと変化の多い季節の到来・・、明日は小学校の入学式です。

こちらは、河野泰裕氏の作品 「春風景」です。

天の下のすべての事には季節があり すべてのわざには時がある

生まれるに時があり 死ぬに時があり

植えるに時があり 植えたものを抜くに時があり

殺すに時があり いやすに時があり

こわすに時があり 建てるに時があり

泣くに時があり 笑うに時があり

悲しむに時があり 踊るに時があり

石を投げるに時があり 石を集めるに時があり

抱くに時があり 抱くことをやめるに時があり

捜すに時があり 失うに時があり

保つに時があり 捨てるに時があり

裂くに時があり 縫うに時があり

黙るに時があり 語るに時があり

愛するに時があり 憎むに時があり

戦うに時があり 和らぐに時があり


もう三年遅くめぐり会っていれば、あるいは結婚したかもしれない相手と、少しばかり早く会いすぎることもある。しかし同じ梅の実でも未熟なものは、危険なのだ。同じ相手でも、時が来ぬ前の恋はうまくいかない。道標は暗い夜道を歩くものの心をとらえるが、そこへ向って突進したらやはり飛行機でも船でも航路を踏みはずす。道標は静かに見送って走らねばならないのである。それがいかに辛くとも。

「誰のために愛するか」-曽野綾子著(角川文庫)より

人生泡のごとし

高知沖にてカマス豊漁とのこと!明日を楽しみに・・

会社の人間関係

今回も中一日操業、一昨日と同じく4:30の入港でした。やはり主体はアマギとハモ(↑)でしたが、平均単価はかなりの“下げ”に・・。次回は、魚種のバランスを考慮して中2日の操業予定です。今日は午後から一件来客、夜も別件でお客さまをご案内の予定です。

以下は、愛読書からの一節、日々の仕事を通じての人間的成長を、常に目指したいものです。


企業内に良好な人間関係が維持されているということは、革新が行われていない実証である。

企業は外部の変化に合わせて、常に自らを変えてゆかなければ生きていけない。たえず自らを変えるということは、生やさしいことではない。これを行うときには、必ずといってよい程、内部の抵抗があり、摩擦が発生するのだ。摩擦がないような内部の変更は革新ではない。これから成果の増大を期待することなどできない相談である。優れた革新ほど批判や摩擦が多く、人々を苦しませるものなのだ。
逆説的にこれを言うならば、企業体内に良好な人間関係が維持されているということは、その企業体において革新が行われていない実証である。ということは、生き残るための死にもの狂いの努力がないことであり、企業が倒産に向かって、バク進している姿そのものなのである。

「一倉定の経営心得」・6-3『会社の人間関係』より

何ごとも良き習慣から

漁期中にも関わらず故障で沖に出られない、というのは、漁業会社にとっては非常に落ち着かない状態です。陸でいえば、生産工場が完全閉鎖しているのと同じですから。もちろん、乗組員さんたちにとっても漁の稼ぎはストップするわけで、気が気ではないはずです。たぶん・・。この2日で体力もアルコールも!?十分に蓄積できたはずですので、1月最後の番狂わせ!の分もカバーできるように、張り切っていきましょう!

今朝は定例の月報や月次決算書類の作成、整理等々、BGMはモーツアルトのピアノ小品集にホルン協奏曲集、両方とも郊外のブック○フにて500円でゲットした古いものですが、静かな仕事のBGMには最適の音楽です。自宅の棚に収まりきらなくなったCDを少しずつ会社に持って行っては、脳を少しでも活性化できれば、と流しています。が、くれぐれも、子守唄にだけはなりませんように・・!!

午後からは、遠方よりお客さまが来社されまして、専務と3名で鮮魚の加工や流通、マーケティングの話題をミッチリと。こちらも一魚一会・一期一会の出会いへ紡いでいければ・・と願っています。

今日はヒルティ「幸福論」(第2部)より一節をご紹介します。仕事や社会活動を通じての人間的成長には、何よりも「習慣」が大事!のようです。

真の教養とは、真の徳がそうであるように、生長するものである。真の教養は、その力と洞察力をしだいに増すものであるが、しかし、なにか魔法の力で無理に素早くそれらを手に入れるということはできない。むしろ一度教養の道をこころざしたら、生涯それをつづけなければならない。だが、また、真の教養は、いつまでも終わることのない、ただ一つの正しい人生目的であり、しかも、人生のただ一つの完全に望ましい成果でもある。

ヒルティ著「幸福論」(第二部:「教養とは何か」)岩波文庫より

敵は本能寺にあり!?

今朝は4:00過ぎの入船、先航海に引き続き、アマギ漁は今回も不調に終わりました。
荷揚げ後は気を取り直して再び出漁、1月最後の航海!の予定だったのですが・・

先ほど、漁労長から電話が入って機関にトラブル発生とのこと、深夜に一時帰港することとなりました・・。
これから取り得る対策に万全を期したいと思います。

mitsuhide.jpg

「敵は本能寺にあり」

大意はありませんが、先日の京都での宿がこの近くでして・・、ひょんなことからこの懐かしいフレーズを聴く機会に恵まれました。
善悪の評価は別にして、私も光秀のように「努力の人」でありたいなぁ、と思う今日この頃です。

以上です。努力の人!?今日は早めに休むとします・・、敵は我にあり・・でしょうか?

魚は魚らしく


患難は汝を玉にす

連休明け(世間では、ですが・・)で業務集中、でしたが午後からは、懸案事項もようやく一件落着、明日からはまた次の懸案事項に向けてまっしぐら!です。先行き不透明な時代ですが、物心両面、すべて常に満たされた状態などないのが人の世の常では!?看脚下!いつも足元を見つつ、出来ることから一歩ずつ、着実に進みたいものです。

それにしても難しい時代、厳しい環境下だからこそ享受できる能力や資源というのもあるのではないかと、最近つくづく感じています。人間でいえば耐性、企業でいえば内政の充実による基盤、基礎体力でしょうか?今年の干支は丑、いつも鈍いだけ!ように思われがちな丑年ですが、次なる飛躍、ステップに向けて辛抱する、我慢強い干支でもあるとか・・?気づけば私も鈍い丑男!できれば、次なる飛躍に向けて我慢できる丑でありたい・・と、願う今日この頃です。

今夜は、最近携行している「言志四録を読む」(井原隆一著)から、この一文にチェックを。

厳しい時代環境の中で実に励まされる一節では?中国の「論語」ももちろんですが、日本の「言志四録」も本当にスゴイ!
出会った艱難を避けていては真の喜びは味わえない、心に留めたい一節ではないでしょうか!日々の生活の滋養としたいものです。

凡そ遭う所の艱難変故、屈辱懺謀、払逆の事は、皆天の吾才を老せしむる所以にして砥礪切磋の地に非ざるはなし。
君子は当に之に処する所以を慮るべし。いたずらに之を免れんと欲するは不可なり。

(人間が出会う苦労やいろいろな変わりごと、抑えつけられたり、辱められたり、悪口をいわれたりなど困ったことのすべては、天が自分の才能を成熟させようとするもので、そのどれもが徳を積み、学問を励ます糧となるものである。
従って君子たるものは、こうしたことに出会ったなら、これをどう処置するかを考えるべきであって、決してこれから逃れようとしてはならない)

「言志四録を読む」(井原隆一著/プレジデント社)より

福寿海

「福寿海」と読みます。「福寿海無量」という禅語の一節からの語で、「福でいっぱいの海」という意味です。
元日から実に縁起の良い言葉、で少しだけ詳しく調べてみたところ・・

「福寿海無量」とは、観音経の一節で、観世音菩薩の功徳は「福を聚めた大きな海のように量に限りが無い」という意味だそうです。少林山達磨寺サイト「禅語を味わう」によれば、その功徳とは、決して私たちにとって好ましいものばかりではなく、長い人生のなかの苦難や困難も含まれるとのこと。なぜならそれらの苦難も、自分という人間に人生の奥深さを知らしめ、より人間的・精神的に成長させるための方便だといえるから、なのだそうです。失敗を成功へのばねにして、不幸や不遇を幸福や勝利に結びつけようと努力する人にこそ観世音菩薩は微笑む。人生は心がけ、見方次第で「福でいっぱいの海」になりうる、という意味を含むのだそうです。

昔から我が家の古い座敷部屋に掛かっている書ですが、こんなに味わい深い意味があったとは・・。今さらですが、積年の不勉強を恥じております。これも今や私にとっての功徳か・・!?何はともあれ、2009年に待ち受ける困難も即ち“功徳”として、さらなる学習、成長への糧としたいと思います。
一方、我が社にとっては、昨年の苦難続きだった宇和海も乗り越えるべき功徳ということか・・、どうか宇和海が“福寿海”へと転じますように、こちらも心を込めて祈りたいところです。

本年も一年間、どうぞよろしくお願いいたします。

位なきことを患えず

魚屋にとってはあわただしい年末もいよいよスタート、海幸丸は明日早朝に今年最後の入港、お正月休みに入ります。9月の解禁以来、ヤリイカ漁の不調に相場安と・・、“波乱の漁期の折り返し”となりますが、乗組員の皆さん、年末年始は十分に休息をとって、新年の“乗り初め”を迎えましょう!くれぐれも暴飲暴食には気をつけてください!(って小学生の冬休みではありませんので・・)ついでに暴パチンコも・・!?

不況の真っ只中ですが、ニュースでは関東方面でのマグロの売れ行きは好調とのこと・・、はたして、こちらのお正月食材、ハマチ・カンパチの需要はいかほどのものでしょうか?今日昼には、予定していた買い付け業務も無事に終了、明日からはトロール市にて大奉仕の調理サービスも始動いたします。さすがに今日は程よい疲れ、早めに休んで明日からの売り出しに備えたいと思います。

と、その前にせっかく続いていますので、論語の復習を・・。今日はこれまでのブログに記録していない大好きな一節をメモして日記といたします。

子の曰わく、位なきことを患えず、立つ所以を患う。己を知ること莫きを患えず、知らるべきことを為すを求む。

先生がいわれた、「地位のないことを気にかけないで、地位を得るための(正しい)方法を気にかけることだ。自分を認めてくれる人がいないことを気にかけないで、認められるだけのことをしようとつとめることだ。」

論語巻第二 里仁第四 十四より

「論語」(岩波文庫/金谷治訳注)より

形式よりも精神こそ・・

今朝の水揚げでエソ漁も一段落、前半の辛抱の甲斐あってか、ようやく12月操業も形になりました。海幸丸は実質今年最後の漁へ出漁、あとは年末売り出しに需要が見込めるマダイやコウイカ、車エビなどの豊漁に期待したいこところです。最後まで気を引き締めていきたいと思います。会社の方では、午後に年末関連の業務も一気に・・、あとはトロール市の大売り出しを待つばかりです。

こちらは最近読み進めている「論語」(岩波文庫/金谷治訳)より少々メモ。
岩波文庫の「論語」ですが、コンパクトですべて網羅されていて携帯版としてもおススメでは・・。

子の曰わく、三軍も帥を奪うべきなり。匹夫も志しを奪うべからざるなり。

先生がいわれた、「大軍でも、その総大将を奪い取ることができるが、一人の男でも、その志しを奪いとることはできない。」

巻第五 子罕第九より

子の曰わく、礼と云い礼と云うも、玉布を云わんや。楽と云い楽と云うも、鐘鼓を云わんや。

先生がいわれた、「礼だ礼だといっても、玉や絹布のことであろうか。楽だ楽だといっても、鐘や太鼓のことであろうか。
(儀礼や雅楽は形式よりもその精神こそが大切だ)

巻第九 陽貨第十七より

「論語」(岩波文庫/金谷治訳注)より

つまずきのもと四つ

今朝は5:00過ぎ入港で、漁獲の9割以上はエボダイ(シズ・アマギ)、中トロ漁としては、12月らしからぬ魚種で残念ですが、鮮度は上々だったかと・・。それにしてもさすがに師走、市場関係者の意見を参考に、漁労長、専務とも相談の結果、目下はエソ漁で奮闘中です。一晩操業のため、まもなく揚網・帰港の予定です。

こちらは就寝前の「菜根譚」より。心が洗われる中国古典、私などは読むたびに、ただただ反省あるのみですが・・。

偏信して奸の欺くところとなることなかれ。自任して気の使うところとなることなかれ。
己の長をもって人の短をあらわすことなかれ。己の拙によりて人の能を忌むことなかれ。

洪自誠

一部の意見を鵜呑みにして腹黒い者のペテンにかかるな。自信にまかせて大役を引きうけ、それに追われて主体性を失うな。
自分の長所をふりかざして、人の弱点をあばくな。自分が無能だからといって、人の才能に反感を抱くな。

「菜根譚/前集百二十」(徳間書店)より

海幸丸明日入港です!

11月最後の晴れの日曜日、昼間は会社にて書類業務、夕方は少し体力作りという1日でした。久しぶりに諏訪埼まで行ってみましたが、あまりに近くの猟銃の音が激しくて、“チキン”の私は早速Uターン・・、それでも5kくらいは走りまして、おかげで食前のビールも美味しかったです。魚市場のほうはここ数日の時化で、魚も丸物・原材料ともに切れている様子、週明けからの相場に少しだけ期待したいところです。

先日の「セレンディピティ」に関連してですが、ショーペン・ハウエルにはこんな文章もありました。
私の場合は輪郭が鮮明になるどころか、眠くなる方ですが・・


おなじ物を長く見つめていると、眼が鈍くなって、もう何も見えなくなる。それとおなじように、知性もおなじ事柄を打ちつづき考えていると、それについてもう何も発見したり理解したりすることができなくなる。あまり長い間ひとつの物を見つめていると、輪郭がぼやけて、何もかもかすんでくるように、ひとつの事柄を長く考えつめているときにも、すべてがこんぐらかってくる。こういう場合には、一旦それから眼を離さなくてはならない。そしてそのあとで再びそこへ立ち帰ってみると、こんどはそれがはっきりとした輪郭で鮮やかに現れてくる。だから、プラトンが「餐宴」の中で、ソクラテスは何か思いついたことを考えつめて一日中身じろぎもせず、彫像のようにつっ立っていたと語っているが、こういう話を聞いたら、「まさか」と言うだけでなく、「まずいことをしたものだ」と付け加えなければならない。

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「知性について」(ショーペン・ハウエル著・細谷貞雄訳/岩波文庫)より

セレンディピティ

明日は土曜日のため休市の関係で、海幸丸は今朝入港、水揚げ魚種はヤリイカと水エソで約9割、時化のため、皆が欲しがる赤い丸物はほぼ水揚げゼロという状態でした。ヤリイカは徐々に成長して“立ヤリ”が主に。荷揚げ後は給与を支給して「月末休み」に入りました。最盛期を前に、乗組員の皆さんが今夜のパチンコで“幸運のツキ”を使い果たしませんように、陰ながら心より祈っております・・。

パチンコついでに、“思わぬ幸運”にまつわる話題を少し・・

セレンディピティ(serendipity)とは、「何かを探している時に、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉」で、何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」のことを指すそうです。

先日の日経新聞によれば、白川英樹氏、田中耕一氏がともにノーベル賞を受賞した際に、その発見手法として挙げたことで有名になった言葉だそうです。
ただし、大事なことはその価値あるものが出てきた際に、気づく人と気づかない人がいる、ということのようです。日経新聞掲載のシンポジウム「仕事に生かす読書術」で、阿刀田高さんは専門分野以外の“読書によるよそ見”が、セレンディピティに巡り合うことにつながること、を指摘しています。専門分野のことをうち続き考えるのではなく、時々“よそ見”をしてみることが、仕事でのアイディアやひらめきには大切、ということでしょうか。
時には目的を持たない読書や、一見自分には無意味、無価値に思える書物も、時間の許す限り食べて(読んで)みる、当座の成果や産物を期待しない乱読も大切ということでしょう。このあたりは、何も読書に限らず、とうい感じもいたしますが・・。セレンディピティを得られる生活習慣、身につけたいものです。

案外、好き嫌いの多い今の自分では、かなりほど遠いようですが・・、ゲッツ!

自分を静かに保つ

今朝は4:30よりいつも情報をいただいている研究者の来訪、海幸丸入港は5:00過ぎでしたが、揚がってくる魚たちに後ろ髪を引かれつつも私は別件で高松まで・・。漁は今一つですが、相場の方はまずまずだった様子です。本音と建前、理想と現実、理性と行動、集団(組織)に個人、空想に妄想・・etc、今日はめずらしくいろいろと思いを巡らせた一日でした。明日は連休明けで業務集中の予感が!自分にはこれこそ現実ですが・・。やっぱり私は“おっとり現実主義者”でしかなさそうです。では、週明けも張り切っていきましょう!!

こんな日は以前もご紹介しましたが、曽野綾子さんの大好きな一節が心にしみます。


自分らしくいる。自分でいる。自分を静かに保つ。

自分を隠さない。自分でいることに力まない。自分をやたらに誇りもしない。

同時に自分だけが被害者のように憐れみも貶めもしない。

自分だけが大事と思わない癖をつける。自分を人と比べない。

これらはすべて精神の姿勢のいい人の特徴である。


「ただ一人の個性を創るために」

「魂を養う教育 悪から学ぶ教育」曽野綾子(海竜社)より

稲むらの火

昨晩は深夜入港、総数1200箱のうち約半分がヤリイカでした。相場の方は、原材料がややアップ、ヤリイカは若干下げ、といった感じでしょうか。次航海は中1日、金曜入港を目指して操業しています。上は現在の“日の丸ミカン”、今年は裏年で生産量は今一つのようですが味は上々です!ついつい、もいでパクリと食べたくなりますが・・。今夜はいよいよJCの第3回次年度理事会、今日だけは仮眠をとって!?臨みたいと思います。皆さま、お手柔らかにどうぞ・・。

こちらは「月刊致知12月号」に掲載されていた一文、「稲むらの火」、戦前の小学生が学んだ「国語読本」には必ず収録されていた作品とのこと。
「道徳は、日本の伝統的な美しい国語表現の中で初めて生きてくる」(同誌12月号「心願に生きる:占部賢志談」より)、深い、味わいのある言葉です。

「稲村の火」

村の高台に住む庄屋の五兵衛は、地震の揺れを感じた後、海水が沖合へ退いていくのを見て津波が来襲することに気づく。祭りの準備に心奪われている村人たちに危険を知らせるため、五兵衛は自分の田にある刈り取ったばかりの稲の束(稲むら)に松明で火をつけた。火事と見て高台に集まった村人たちの眼下で、津波は猛威を振るう。五兵衛の機転と犠牲的精神によって村人たちはみな津波から守られたのだった。

森はねむります


功・名に虚・実あり

世界的な株価の大暴落、急激な円高、衆院選も見通し立たず・・で、政治・経済ともに暗中模索の状態が続いています。こんな情勢になればなるほど、地道な事業と身の丈に合った生活の大切さが身にしみます。海幸丸ですが昨晩は23:30に本船入港、荷揚げを一通り終えた後、浜田漁労長を市内の某産婦人科クリニックへ搬送いたしました!何も産気づいたわけではなく、ある注射を求めて行ってきたのです。おかげで今は落ち着いていますので、皆さまどうかご心配なく・・!

それにしても深夜の産婦人科医院で、新生児室に眠る赤ちゃんを横目に見ながら、大のおっちゃん二人が徘徊する姿は、なかなか微妙でした。しかも1人はゴム長靴に黒いジャンパー、もう1人は足をバタバタさせてのたうち回っている・・!?

そんな深夜の苦労が報われたのか、今朝のヤリイカ相場は平均単価で200円のアップ!昨年の半分の水揚げ水準が続く中にあっては、まずまずの中一日操業でした。海幸丸はただ今10月の最終航海へ、次回は今週末の入船を予定しています。

今日は午後から宇和島まで商談へ、夜はもどってJC関係の親睦・交流会に参加します。

昨日に引き続き、意味不明の業務日誌になりそうですので、今日は少し「言志四録」のお勉強を・・


功名に虚実あり。実功は即ち是れ人事なり。自ら来るの名は、他の来るに任せて可なり。
ただ濫功虚名を不可と為すのみ。またことさらにその実を避けて以て自ら晦ますも、亦た或いは私心ならん。

佐藤 一斎

功績や名声に偽物と本物がある。実のある功績は人間の仕事でもある。実に伴って自然に生じて来る名は、来るに任すがよい。
ただ、みだりな功績や虚しい名声を得ることはよくないことだ。また、わざと実功をかくして自ら人目をまぎらわすことも邪心といえる。

<佐藤一斎「言志てつ録・二百九」久須本文雄訳>(講談社)より

自分で売る

朝からたまったデスクワークの1日でした。月報の整理と一緒に先日購入した実用書をもとに、経営計画書フォーマットも少しブラッシュアップしてみました。なかなか予測値に近づけるのが難しい当社の中期計画、久しぶりに環境・資源分析表なども書き換えてみましたが、ここ2年でも内外の環境が大きく激変!しているのを改めて実感した次第です。世界と日本、そして地域の経済はどこへ向かうのやら・・??

また例の「経営心得」から。こちらも私たち一次産品の生産者が常に気にとめておきたい言葉では・・?


いつ、いかなる場合にも、自らの商品は、自らの手で売らなければならない。

何がどうなっていようと、自らの商品は自らの手で売らなければならないのである。このことを認識しない限り、販売は絶対といっていいほど伸びない。たとえ伸びても、やがては頭打ちしてしまう。
ところが業績不振会社はいうまでもなく、中小企業全般の傾向として、販売に意欲も関心も示さない社長が多すぎるのである。
販売というものは、営業部門にまかせておけばいい、というような軽々しい問題ではない。会社の浮沈に関する重大命題なのである。わが社の商品が売れなければ、会社はつぶれてしまうのである。

一倉定の社長学第一巻「経営戦略」、第3巻「販売戦略・市場戦略」より

販売を阻害するもの

今日も期限のせまった少々重い案件で朝からあれこれ思案、夕方はリフレッシュにと少し運動もして、めずらしく家でのんびりと過ごしております。疲れているのについ体を動かしてしまう・・、自律神経のためには体を休めるのとはたしてどちらが良いものやら・・??明日は入船、漁模様に期待しつつ早めに休みたいと思います。が、その前に接客について少し・・。

事業は商品・サービスを購入してくれるお客さまあってこそ、というのは全業種共通ですが、直にお客さまに接する小売業やサービス業において、接客行動は他の業種に比べて、少し違った“感覚”があるのではないでしょうか。特に小売店の現場では、接客員の行動は、動き方や仕事ぶり、言葉づかいなど、その一挙手一投足がすべてお客さまに見られていて、その与える“一瞬の印象”がそのままお店の評価や買い物の満足に直結してしまうのですから・・。こちらが買い物をするお客の立場になってみれば、思いあたるふしは多いですよね~。
私なども、お客さまの前で見せてしまったちょっとした言葉づかいや行動で、後になって“しまったなぁ・・あの時もっとこうすれば良かった!!”と反省した経験は、一度や二度ではありません・・。お客さまが来店された瞬間から、すべての社員の行動・言動が見られている、まずはその意識を持つことが何より大事、なのではないかと思うのです。特に当店のような対面販売においてはなおさらです。来店時の挨拶からお見送りのクロージングまで、どんな社内業務や事務連絡にも優先して、“心と気”を込めて接客にあたりたいものです。

今日は自戒の意も込めて、「一倉定の経営心得」から一節をご紹介します。

お客様を忘れた自己本位の考え方を「天動説」という。この「天動説」がとことん販売を阻害する。

自己本位の考え方を「天動説」という。この「天動説」が、とことん販売を阻害するのである。だから、天動説を捨て相手の立場に立って、物を考え行動すると恐ろしく目立つ。・・・
天動説をとっている会社では、根本的に誤った二つの信念を持っている。それは、「流通業者は我が社に忠誠を誓っている」、「消費者は我が社の商品に絶大な支援を惜しまない」というものである。
右の二つの誤った信念がいたるところに顔を出し、販売を阻害している姿を、私は、うんざりとするほど見せつけられてきているのである。
人間というものは、これほどまでに「自己中心」でしか物を考えられない動物なのだろうか、とつくづく思うのである。だからこそ、「相手の立場に立つ」ことは、販売でもすばらしい威力を発揮するのである。

一倉定の社長学第3巻 「販売戦略・市場戦略」より

断食するときには

午前中は地元の某水産高校から、以前にもご紹介した魚の“耳石博士”が来社されました。私も興味のあるテーマ、魚好きどうしの会話は話題も尽きません。やはり食用であれ、鑑賞魚であれ、たとえ名もない雑魚であっても、常に愛情をもって接したいものです。午後からは、決算日も近いため社内事務をバタバタと、夕方は墓参り、夜はソフトボールという1日でした。試合結果ですか・・?点数忘れてしまいました・・!?

昨晩はいろんなことに考えを巡らしているうちに目がさえてしまい、明け方4:00過ぎにようやく眠くなったかと思うと“金縛り!?”にもあって・・、ベッドでのたうち回っていました。(たぶん体は動いていないのでしょうが・・)夜中に新約聖書をパラパラとめくっていたのが悪かったのでしょうか・・?せっかく手に取ったので、久しぶりに一節をメモしておきます。

断食するときには

「断食(罪の悔い改めを表す宗教行為)するときには、偽善者のように沈んだ顔をしてはならない。偽善者は断食しているのを人に見てもらおうと思って、顔を醜くする。はっきり言っておくがこういう人々はもう報いを受けている。あなたは断食するときには、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。それはあなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられる父(神を指す)に見ていただくためである。そうすれば、隠れたところで見ておられる父は、あなたに報いてくださるのだ。」

「新約聖書」マタイオスによる福音より

「狭い門から入りなさい」や「施しをするときには」と並んで、大好きな一節です。

人生の落し穴

いつもながら慌ただしい月曜日、ようやく海幸丸もドックを終えて会社前(向灘)に戻ってきました。今年のお盆休み、半分程度は仕事もしていましたが、やはり注目は甲子園よりも断然オリンピック!日本チームの活躍に一喜一憂していましたが、現在のところ、見ていてチョー気持ち良かったのはやはり北島康介!反面、悲しくて見ていられなかったのが女子マラソンでした・・。

走った選手はよく頑張った・・というのは当然ですが、こうした感情論は別として、もう少し陸連のような組織が出場選手の体調について、事前に情報・データを共有するような仕組みがあってしかるべき、だと思うのですが・・?もちろん世界と戦う、ましてや金メダルを狙うためには、怪我するリスクのギリギリの線まで自分を追い込んで練習する、というのは分かるのですが、そこを客観的な立場で冷静にモニター・チェックするという仕組みが日本チーム全体にあったらなぁ、と思ってしまったわけです。個人的には、野口選手の勝負師魂?が好きで、2連覇を期待・予測していただけに、走る姿を見られなくて本当にガッカリです・・。

もっと書こうかと思いましたが、ちょうどテレビではまたサンマ漁船の一斉休漁の話題が・・!!
こんな、私などではどうにもならない話題のブログを更新している場合でもなさそう・・です。

では今日も「菜根譚」で喝を入れて、早めに寝る・・!?とします。


分にあらざるの福、故無きの獲(えもの)は、造物の釣餌にあらざれば、すなわち人生の機政なり。
此の処に着眼すること高からざれば、彼の術中に堕ちざること少なし。

洪自誠

身分に相応しない幸運や何の理由もない授かり物は、受けるべきものではないが、これは天が人を釣り上げようとする餌であるか、それでなければ世人がしかけた落し穴である。それで、この点に眼を高く着けて注意しなければ、天や人の計略に陥らないものは少ない。

<洪自誠「菜根譚・後集百二十六」久須本文雄訳>(講談社)より

海の底もいいもんだ!?


衆人皆師


短い人生、狭い世界

またしても何かとあわただしい週明けに・・。暴騰する燃料代の関連で終日、書類&数字と格闘しておりました・・。午前中の仕事合間には皮膚科にも。おかげさまで左手の火傷も順調に回復に向かっているようで、夕方にはこっそりと愛宕山まで走ってきました。そんなのんきな私をよそに、家内は火傷の症例をインターネットで検索してみたようですが・・

「バーベキューの網で自分の手を焼いた!」という症例は、いくら調べてもなかったとのこと・・。

手をついた左手のひらには、黒い網の目もくっきりと残っていたし、あんなに熱い思いをしたというのに・・。
せめて魚屋らしく包丁でズバッとやったのなら、少しは武勇伝っぽくもなりそうですが・・。
「手のひらバーベキュー!」も、是非インターネットの症例に追加してほしいものですね~。

というわけで、相変わらず修養の足りない私は今夜もビールを片手に「菜根譚」を・・。
今週も元気に乗り切らねば!!


石火の光中に、長を争い短を競う、幾ばくの光陰ぞ。
蝸牛の角上に、雌を比べ雄を論ず、許(いくばく)の大きさの世界ぞ。

洪自誠

人間の一生涯というものは、あたかも、電光石火のような瞬間的なものである。この短い時間の人生の中で、互いに血まなこになって長短を競い合って騒いでいるが、たとえ勝ったところで、それがどれほどの歳月の間続くのであろうか。また、この世界は、あたかも蝸牛角上のような狭いところで、互いにしのぎを削って勝敗を争っているが、たとえ勝ってみたところで、どれだけの大きさの世界を取ることができようか。世人の争いごとは、総じてそのようにつまらないものであるから、名利の欲心を去り区々たる争いを止めて、天性を全うすることが大切である。

<洪自誠「菜根譚・後集十三」久須本文雄訳>(講談社)より

多く働くためには・・

一日雨模様の八幡浜、夕方予定されていたソフトボールももちろん中止でした。今日も夕方までなかなか慌しい一日に・・。6月から解禁となった小型底曳きではヤリイカ(本スルメ)が豊漁の様子、9月からの中トロ漁へもうまく繋がってくれればいいのですが・・、7月、8月の漁場情報に期待したいところです。

今日はヒルティの「幸福論」(第一部)からの一節。古典ですが、現代の仕事や生活にも通ずる名著ではないでしょうか。
まだまだ読了!とはいきませんが・・。

多く働くためには、力を節約しなければならない。そしてこれを実行するには、とくに無益な活動に時間を費やさない心掛けが必要である。われわれが無益な活動のために、どれだけ多く仕事の興味と精力をそがれているかは、ちょっと口に言えないほどだ。まず第一に挙げねばならないのは、新聞を読みすぎること、第二に、不必要な会合や政治活動、とりわけ「カフェー政談」という名で広く知られているような、くだらぬ政治活動である。実に多くの人が、たとえば朝の一番いい仕事の時間を新聞を読むことで始め、また同じく晩は晩で、必ず何かの会や社交クラブや、時としては賭博のテーブルで、その日を終えるというようなことをやっている。彼等が毎朝、一つの新聞を隅から隅まで読むとか、いくつかの新聞に目を通すとかして、そのために翌日まで一体どれほどの精神的利益を持ちつづけるかは、誰も正確に言うことができない。しかし、彼等は大抵こうして新聞を読んだあと何となく仕事に対する興味を失い、手もとに他の新聞があればそれを手にとることだけは確かである。
 多く仕事をしようとする人は、精神的雑用を、なお言い添えてよいなら肉体的雑用をも、注意して避けなければならない。そして真にやるべき仕事のために、精力を充分たくわえておくべきである。

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「幸福論」第一部(ヒルティ著/岩波書店)より

失敗は共同の責任

今日も朝から机に向かっての雑務や数件の来客、午後からは相談や打ち合わせ等でやはりバタバタと・・。最近トロールが曳きあがったせいもあって、現場仕事もずいぶんご無沙汰気味に・・、自分が魚屋だったことすらつい忘れてしまいそうですが、経営者として好ましくない傾向です。が、今休漁期ばかりは、今のところ本社業務のほうが何かと忙しいようです。明日は諸々の用務で松山往復、夜はJC例会という予定です。

夜はドビュッシーをBGMに、「菜根譚」で心の栄養補給を・・。のつもりがアルコールも少々補給してしまいましたが・・。
でも人間、日々の生活が忙しいときこそ、まわりに流されない時間と空間が必要なんでしょうね~。なかなかその獲得は難しいのですが・・。
こちらはその「菜根譚」からの一節。

当に人と過ちを同じくすべく、当に人と功を同じくすべからず。功を同じくすれば、即ち相忌む。
人と患難を共にすべく、人と安楽を共にすべからず。安楽なれば、即ち相仇とす。

洪自誠

人と事をなして失敗した場合には、その責任は同じく分かち合うべきであるが、成功した場合には、その成功は同じく分かつべきではない。功績を互いに同じくすれば、仲が悪くなってしまう。人間というものは、失敗の責を自分独りに帰したくはないが、成功は独り占めにしたい考えをもっている。
また、人と逆境にあって苦労を共にするのはよいが、順境の時は安楽を共にしないほうがよい。もしも人と安楽を共にすれば、利欲のために憎みあう仲となってしまう。

<洪自誠「菜根譚・前集百四十二」久須本文雄訳>(講談社)より

国の本は民、家の本は身

週明けでやはり何かとバタバタと・・。昨日の日曜出勤で事務所はかなりスッキリしましたが、諸々の手続きや届け出等々はまだ“道半ば”、今週末あたりには、先が見えてくるものと思います。このブログも、気が付けば週に1回か2回しか更新できず・・。お恥ずかしい限りです。6月からは、また目一杯“季節の海の幸情報”をお届けします(自戒の意を込めて無理やり予告!)ので、どうぞお楽しみに!

最近、といっても出張前からですが、漁期が終わって深夜勤務が無いため、夜は少しだけ読書時間が増えつつあります。パソコンまでは手が伸びないのですが・・。目下、ヒルティの「幸福論」という書にハマッていますが、新鮮な上に、日々の仕事や経営に役立つテーマも豊富で驚いています。ご紹介するにはもう少々時間が要りますので、今日はいつもの「言志四録」から一節をご紹介して日記とします。

国の本は民に在り、人主之を知る。家の本は身に在り、人主或いは知らず。国の本の民に在るを知りて之を民に刻責し、家の本の身に在るを知らずして自ら奢侈を極む。故に益々之を民に責む。国の本既に倒れなば、其れ之を如何せん。察すること無かる可けんや。

佐藤一斎

「国家の本は民にある」ということは、人主は知っているが、「家の本は自分の身にある」ということは人主が知らないことがある。国家の本が民にあることを知りながら、民をむごく責めたてたり、家の本が人主自身の身にあることを知らずに、自ら贅沢を極める。自ら贅沢をするから、ますます民に対し重税を課して責める。国家の本である人民が倒れてしまったら、どうしようもない。この点を人主は十分考えなくてはいけない。

<佐藤一斎「言志てつ録・二百八十」久須本文雄訳>(講談社)より

成形の功徳

昼前から業務を兼ねて松山へ。夕方は市内のホテルにてJCのブロック委員会、続いて例会(公式訪問)にも出席しました。午後は合間に書店で少々まとめ買いも。読書といえば最近は、経営、歴史(古典)、小説他が、2:2:1くらいでしょうか。しかしながら圧倒的に量が足りない・・、いけない傾向ですが、“じっくり物”よりも、細切れ時間に手にとれる平易な書籍に偏りがちです。やっぱり成年男子に必要なのは書斎、一人だけの空間!だと思いますが、私の今の現状では家族に即却下・・!でしょうかね~。

最近、森信三氏の「修身教授録」という古い本で「成形の功徳」という言葉を知りました。
簡単に言えば、すべて物事というのは、形を成さないことには十分にその効果が現れない、ということです。言い換えれば、物事は「形にまとめる」ことで真の効果が生じる、つまり形を与えるか否かでその物自体の価値や効果、働きにも大きな違いが出てくる、という意味のようです。
分かりやすい例でいえば、この本でも紹介されてありますが、著者である恩師に届ける感想文の製本です。製本しようがしまいが、感想文の内容自体の価値には変わりはないのでしょうが、製本した感想文とそうでないものでは、それを提供される側、または客観的にそれを見る者にとっての「価値の総体」は大きく変わってきます。
「成形」(形を成す)といいましても、何も形あるものに限らないわけで、目に見えないものも含めれば、日常生活でも思い当たることが多々あります。この教授録では、日常生活において、この「成形の功徳」に気づいて実現するか否かによって、人生の行く手が大きく分かれることすらあることを説いています。
私たちの日々の生活でも、新聞の切抜きや仕事の仕方、メモや伝達、手紙に贈り物、書棚に身だしなみ等々・・、「成形の功徳」の考え方で、少し変えれば価値や効果が増すような例で思い当たることも多くあります。まさに「不可思議力」とも呼べる「成形の功徳」、常に肝に銘じたい、深くて美しい言葉です。

什の教え

海幸丸は久しぶりに高知沖へ漁場変更、入港は漁の出来次第ですが、今のところ9日または10日の予定です。今日の八幡浜、朝は大雨と暴風、午後からは一転、晴れという不思議な天候でした。ようやく満開を迎えた桜も今日の風で少しは散ってしまったかも・・、一回くらいは夜桜で一杯!といきたいものですが・・。

「什の教え」

一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ。
二、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ。
三、虚言を言うことはなりませぬ。
四、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。
五、弱いものをいじめてはなりませぬ。
六、戸外で物を食べてはなりませぬ。
七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ。

ならぬことはならぬものです。

こちらは、後に白虎隊も生んだ会津藩校「日新館」の「什の教え」だそうです。「什(じゅう)の教え」というくらいですから、“十則”あるのかと思いきや、藩校の師弟を班分けしたのが十人一組だったそうで、「什の教え」というそうです。さすがは白虎隊を生んだ名門藩の道徳教育です。番外編の「ならぬものはならぬもの」!悪いこと、いけないことに理由はない、うまく言ったものです。

子供たちには短いのでしょうが、親にとっては長かった「春休み」もようやく終わりに!
毎度ですが、男だらけの我が家では、ケンカや泣き声の絶えることのない・・、賑やかな休暇でした。
いけずの息子たちも、せめてこの一、二、五番くらいは守ってくれれば良いのですが・・
親が叱るときに叫んでいるのは、「いけんものはいけん!!」やはり番外編ばかり・・です。

正副二案を用意せよ

昨日から今朝にかけて、八幡浜魚市場ではタチウオが豊漁でした!といいましても、我らが海幸丸ではなくて、“巻き網船”です。実は八幡浜、タチウオの水揚げでは、古くから全国No.1!なのです。これも中トロに加えて、八幡浜に荷揚げする巻き網船のおかげ!巻き網漁とは、当地域ではトロール漁と並んで漁船漁業の中核、春のマダイ、夏から秋にかけてのアジ・サバ、タチウオが主な対象魚種です。ちなみに昨日に引き続いて今朝も数十トン単位の水揚げ!だった模様です。セリ前の荷揚げ・選別の様子はこんな感じでした。

今日は久しぶりに「言志四録」からの一節のご紹介です。
日々、瞬時に要求される「意思決定」とは本当に難しいものです・・。


器物には正副有りて、而る後に欠事無し。
凡そ将に一事を区処せんとせば、亦当に案を立てて両路を開き正副の如く然るべし。

佐藤一斎

器具類は必ず正と副の二つを調ておくと、使用するのに一方が損じても事欠くことがない。
これと同じように、一つの物事を処理する場合にも、二つの方法を準備しておいて、
器具類に正副があるようにすれば、都合よく運用ができるであろう。

<佐藤一斎「言志後録・二百二十九」久須本文雄訳>(講談社)より

人知らずして憤らず

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当初は、“中3日”の操業を予定していた海幸丸ですが、アマギのまとまった漁がありまして急きょ昨晩24:00前に入港、久しぶりに深夜の荷揚げとなりました。昨夜から今朝にかけて、こちらはかなり冷え込みも厳しく、積雪による物流の麻痺も心配されましたが、今のところ道路もスムーズに流れている模様です。消費地市場への出荷機能を担う八幡浜魚市場では、物流条件も鮮魚の相場を左右する大きな要因の一つ、特に冬場の時化(しけ)の際は、漁業者・仲卸業者ともに、入港・買いの判断が難しい局面でもあります。

海幸丸は荷揚げ後、深夜(早朝か?)2:00過ぎに出漁、明後日の神事「十日恵比須」の入港を目指して操業中です。
次回もアマギのまとまった漁に期待したいところです。

今日のご紹介は、先日も少し触れた「論語の読み方」(渋沢栄一)から。新年から少しずつ読んでいましたが、ようやく今日になって読了、今さらではありますが、処世や学び、仕事、そして人間関係や経営にいたるまで、とても機知に富んだ孔子の言葉のすばらしさに驚いている次第です。もちろん全てメモしておきたいところではありますが、紙面の都合上(ないか・・?)、「言志四録」や「菜根譚」同様、少しずつ掲載していきたいと思っています。今日は代表的な1節から・・。

子曰く、学びて時にこれを習う。また説ばしからずや。

朋遠方より来たるあり。また楽しからずや。

人知らずして憤らず。また君子ならずや。

〔学而〕


論語の冒頭に掲げられる言葉ですが、一般的によく知られるのは2節目、ですが改めて読んでみると3節全てが密接に関連していて、ただただ深い・・教訓です。かの渋沢栄一も「最高智」と呼んで実践してきたというのがこちらの3文なのだそうです。
1節目は、学問をして自らの生活の中で生かすこと、つまり知行合一の大切さを説いています。2節目では、同学同志の友が訪ねてくる楽しさ、という意味だけではなく、学び得たものを友に伝え、伝播していくことで学びや善を多くの人に及ぼすことができるすばらしさを説いている、というのが渋沢の解説です。圧巻は第3節、自らの学びがたとえ成就して、立派になったとしても世間が認めてくれないこともある、そんな場合にも人をうらまず、天をとがめず、ひたすらにその道を楽しむのは、徳の完成した君子にしてはじめてできることである、との意味!だそうです。

「人事を尽くして天命を待つ」、ではないですが、自分の本分、尽くすべきことを尽くしさえすれば、たとえそれが世間に認められたり、評価されることがないとしてもいっこうに気にしない、現代はある意味、「言ったもの勝ち、やったもの勝ち、アピールしたもの勝ち・・?」という風潮の世の中なのかもしれませんが、2400年も前に語ったというこの孔子の教訓!「人知らずして憤らず」、この一節を常に心に留めておきたいものです・・。

その前に、私などには「もっと学んで、もっと習え・・?」という声が聞こえてきそうです。
まさにおっしゃるとおりです。論語の冒頭からつまづいて前に進めない感じ・・?でしょうか。

あ~、さすがに今日は目も重たい・・。これも本のせいでしょうか・・?もう少々復習して早めに休むとします。

腹をくくる

寒波と時化の続く四国地方、昨日に続いて今日もかなりの冷え込みようです。港町の八幡浜では、かなりの数のカモメが繁殖!?毎朝、魚市場のセリで売れ残った小魚は格好の餌になっています。が、魚も少なく沖からの海風の強い今日のような日は、さすがにこんな感じで一休み。鳥は必ず風が吹いてくる方へ向かって休むんですね。面白いものです。

愛読している産経新聞の一面に「朝の詩」(選者:新井和江)というコーナーがあります。
最近印象に残ったのが、今月20日掲載の「朝の詩」、作者は埼玉県の松崎俊道さんです。


「腹をくくる」

人は時に腹をくくってものを言わなければならないときがある

サラリーマンならば首を覚悟する

親しい間柄であれば別れを覚悟する

腹をくくらないと超えられない壁もある

そして超えてしまうとそこは案外、自由でのびのびとした空間であったりするのだ


松崎 俊道さん(産経新聞1月20日掲載「朝の詩」より)


すばらしい詞だと思いませんか。腹をくくる勇気、持ちたいものですが・・。

哲学への回帰

早くも金曜日、昨日から「日本列島大寒波」で四国も雪?との予報もありましたが、今日は終日快晴、ただし気温はかなり低かったようです。海幸丸は、目下豊後水道南沖でヤリイカを中心に操業中で、次回は20日(日)の入船を予定しています。明日からは、以前から予定していた青年会議所の“京都会議”のため、京都へ一泊の予定で行ってまいります。さすがに京都では走れない・・というわけで、今日も夕方は愛宕山まで行ってきました。

さて昨日1月17日で、あの「阪神・淡路大震災」から13年も経つのだそうです。本当に時間が過ぎるのは早い・・ものです。当時といえば自分はまだ学生、地震の当日、あの時刻は、翌朝に控えた後期試験の準備という名目で前夜から友達と集まって、何とのんきにも麻雀を!やっていたことを思い出しました。あの震災からもう13年・・!当時とは、生活の基盤や環境、自分の周りの家族や友人、当然仕事も、帰属する組織も、携わる職種も立場も、オマケに趣味も、好みの食べ物も、女性も?思考回路も、思想信条もまるっきり様変わり・・。幸い変わってないものといえば性別!それに体重、不幸にも変わっていないのは知能指数・・くらいでしょうか。
はたして自分という人間は年相応に成長したのか、してないのか・・?自分では何とも分かりかねますが・・。良くも悪くも!13年間の膨大な意思決定の積み重ねの末に、今の自分がいることだけはたしかのようです。新聞を読みながら、当時の雀荘と化したアパートの部屋を思い出しつつ、そんな意味のない物思いに浸っておりました。13年前、震災で突如として犠牲になられた方々を思えば、無意味に時間を過ごすことだけはないように、世のため人のため、そして自分のために日々精進していきたいものです。

先日、この日記で掲載した松下幸之助さんの本に続いて、今日も本ブログ「偉大なる経営者シリーズ」(そんなものあったのか!?)からの一文のご紹介です。こちらはちょうど13年前、脱学生・新社会人を前によく読んでいた稲盛和夫さんの書籍からの一節で、当時の手帳やらブックカバー等々に大言壮語して?書いていた、自分にとっては思い出深い一節です。稲盛さんが常に心に留めている言葉だそうで、福澤諭吉が“実業社会において大人になるべき条件”を言い表したものだそうです。

思想ノ深遠ナルハ哲学者ノ如クニシテ、

心術ノ高尚正直ナルハ元禄武士ノ如クニシテ、

コレニ加フルニ、小俗吏ノ才ヲ以テシ、

更ニコレニ加フルニ、土百姓ノ身体ヲ以テシテ、

初メテ実業社会ノ大人タルベシ

福澤諭吉

「小俗吏の才」というのは、官吏(役人)が持っているような気の利いた、よい意味で悪賢い才覚の意だそうです。実業社会に生きるには、哲学者のような深遠な思想、武士のような心根、官吏の才覚、最後に強靭な肉体が必要、ということのようです。まさにスーパーマンのような能力・資質でしょうが、経営者、管理者、専門家を問わず、全ての企業人が目指すべき、理想のビジネスマン像を表している言葉ではないでしょうか。この境地に近づくには、並々ならぬ日々の鍛錬が必要のようですが・・。せめて私の場合は、「思想の浅はかなるは・・、心術の低俗なるは・・」にならないように、肝に銘じたいものです。

出典は下記の図書です。

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「哲学への回帰」―資本主義の新しい精神を求めて―稲盛和夫、梅原猛著(PHP研究所)


新しい人間観の提唱

気温はさほどでもないですが、午後からは雨模様の八幡浜でした。大洲神社では、昨日今日と「十日恵比須」が行われていましたが今回は結局行けず・・。ジョギングも迷ったあげく雨のため中止・・。夜は昨年末から読んでいる「甲陽軍鑑」を手にとってみましたが、第二部「武田家興亡史」のところでこちらも挫折・・、最近、耐性が衰えてしまったのか?そんなものは最初から備わっていないのか??よく分かりませんが・・。

話は変わって今朝のトップニュースは、松下電器産業の社名変更の話題。「ナショナル」ブランドを廃止して、「パナソニック」にブランド統一を図るという思い切った決断です。世界市場を見据えたグローバル戦略の一環とのことで、社名変更に要する経費が概算で300億円といいますから、私たちのような弱小零細には想像を絶する戦略的意思決定です。が、やはり注目は社名からあの松下幸之助氏の名前が外れることです。「水道哲学」で知られる強固な経営理念が今日の松下を築いたのは事実、で今もそのカリスマは社風に根付いているのでしょうが、新たな世界競争には、既存の「ナショナル」ブランドに付きまとう大衆イメージが足枷になる一面もあるようです。この意思決定がはたして吉と出るか凶と出るか・・。これまでの経営者は創業者に気兼ねして出来なかったといわれる“聖域”にまで踏み込んだ大坪社長の大英断ですが、こちらの功罪も政治家の仕事と同じで、審判が下るには一定の時、歴史を刻まなければ評価も定まらない、というところではないでしょうか。今後の松下(パナソニックか?)に注目したいところです。
というわけで、たった今ほこりをかぶった松下幸之助さんの本を書棚から引っ張り出してみましたので、ついでに記録してお勉強してみます。偉大な経営者の発する言葉というのは、まさに哲人(仙人、いややっぱ神様か!?)のようです。最近では稲盛和夫さんがこの境地に入りつつあるような気がしますが・・。

「新しい人間観の提唱」

宇宙に存在するすべてのものは、つねに生成し、たえず発展する。
万物は日に新たであり、生成発展は自然の理法である。
人間には、この宇宙の動きに順応しつつ万物を支配する力が、その本性として与えられている。
人間は、たえず生成発展する宇宙に君臨し、宇宙にひそむ偉大なる力を開発し、万物に与えられたるそれぞれの本質を見出しながら、これを生かし活用することによって、物心一如の真の繁栄を生み出すことができるのである。
かかる人間の特性は、自然の理法によって与えられた天命である。
この天命が与えられているために、人間は万物の王者となり、その支配者となる。すなわち人間は、この天命に基づいて善悪を判断し、是非を定め、いっさいのものの存在理由を明らかにする。
そしてなにものもかかる人間の判定を否定することはできない。まことに人間は崇高にして偉大な存在である。
このすぐれた特性を与えられた人間も、個々の現実の姿を見れば、必ずしも公正にして力強い存在とはいえない。人間はつねに繁栄を求めつつも往々にして貧困に陥り、平和を願いつつもいつしか争いに明け暮れ、幸福を得んとしてしばしば不幸におそわれてきている。
かかる人間の現実の姿こそ、みずからに与えられた天命を悟らず、個々の利害得失や知恵才覚にとらわれて歩まんとする結果にほかならない。
すなわち、人間の偉大さは、個々の知恵、個々の力ではこれを十分に発揮することはできない。古今東西の先哲諸聖をはじめ幾多の人びとの知恵が、自由に、何のさまたげも受けずして高められつつ融合されていくとき、その時々の総和の知恵は衆知となって天命を生かすのである。まさに衆知こそ、自然の理法をひろく共同生活の上に具現せしめ、人間の天命を発揮させる最大の力である。
まことに人間は崇高にして偉大な存在である。お互いにこの人間の偉大さを悟り、その天命を自覚し、衆知を高めつつ生成発展の大業を営まなければならない。
長久なる人間の使命は、この天命を自覚実践することにある。この使命の意義を明らかにし、その達成を期せんがため、ここに新しい人間観を提唱するものである。

昭和47年(1972年)5月  松下幸之助

「人間を考える」―新しい人間観の提唱―(松下幸之助)PHP研究所より

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苦楽はあざなえる縄

今朝は5:00に本年の初入港と初水揚げ、魚市場では6:00より鏡開きの神事も行われました。水揚げ総数は中2日で1300余り、大半はヤリイカで、バラヤリ・タテヤリがほぼ半々といったところでした。注目の相場ですが、久しぶりの開市で荷が多かったせいか丸魚は今一つ!でしたが、ヤリイカとアマギはまずまずでした。海幸丸は7:30には出漁、次回はアマギの漁場からの操業を予定しています。私のほうは市場業務を終えて、午後から所用で松山を往復、なかなか長い1日でした・・。

今日は久しぶりに就寝前の愛読書「菜根譚」からの一節をご紹介して、日記とします。

一の楽境界あれば、すなわち一の不楽的の相対峙するあり。
一の好光景あれば、すなわち一の不好的の相乗除するあり。
ただ是れ尋常の家飯、素位の風光、わずかに是れ個の安楽の渦巣(かそう)なり。

洪自誠

一方に安楽な境涯があるかと思えば、他方には安楽でない境涯があって、苦と楽は互いに対立しているものである。また、一方に羽振のよい時があるかと思えば、他方には好ましくない時があって、好と不幸は差し引きされてしまうものである。そのように、苦楽・好不好・善悪・美醜というものは、相対的な関係にあって、世の中のことは総じてこの通りである。ただ、普段の食事をして生活し、無位無官の境遇にいれば、大した楽しみも苦しみもないが、これこそ安楽な居どころというものである。

<洪自誠「菜根譚・後集五十九」久須本文雄訳>(講談社)より

待てば海路の日和あり

本日は入港なし、海幸丸は蒲鉾の原材料水エソとヤリイカを中心に操業中です。今日は朝から、年末売出しのためのチラシや会社関連の年賀状の整理・手配等々・・。毎年のことですが、12月はいろんなことがかたまりで並行してやってきて、気付けば一挙に年末へ突入!という感じで、本当に慌ただしいものです。今日夕方はJCの年末総会・懇親会も開催されます。

「今日は秋?」
と、子供に聞かれて「そうやな秋やなぁ」と答えると、
「でもすごく寒いよ」といわれて、「じゃあもうそろそろ冬かもなぁ」と答えると
「じゃあ昨日はどっちだった?冬はいつから始まった?」と聞かれて答えに詰まっていると、
「じゃあ冬の次は?」と聞かれて、「冬の次は春やな」と答えると、
「じゃあ春はいつから始まる?」と聞かれてまた答えに詰まる・・

朝から子供と堂々巡りのような、とりとめもない会話をしておりました。
「でも本当は、暦の上ではなぁ」などと言い出そうものなら、「暦ってなあに?」「本当はどっち?」「お正月は今よりもっと寒いよ」という感じで、
際限のない会話のドツボ?に入ってしまい、最後には「パパは嘘つき!」などという結末になるのは簡単に予測できてしまいます・・。

まぁ何れにしても、秋が終われば冬が来る、冬が過ぎれば春が来る、という感じで春夏秋冬、季節は世の流れに関わりなく巡っていって、
それが何重にも連なって、時代のうねりとなっていく。
薬師丸ひろ子の歌にもあるとおり、
「まわるまわるよ時代はまわる、めぐるめぐるよ時代はめぐる、喜び悲しみくり返し??」という感じでしょうか。

そういえばこれいい歌ですね。私の“超”がつくほど苦手なカラオケのレパートリーも、
そろそろ「日露戦争??戦中・戦後」を卒業して、昭和30・40年代の「高度成長期」を迎えるとしましょうか?
こちらも時代はめぐっていますね。
まぁ、どちらにしても、ここまでは、とりとめもなければ掲載する価値も意味もない文章!・・ですので、
最後に、価値ある「言志四録」のお勉強でもして、日記といたします。


「待てば海路の日和あり」

需は雨天なり。待てばすなわち晴る。待たざればすなわち点濡(てんじゅ)す。

佐藤一斎(文化十三年正月記す、一斎四十五歳)

需の字は雨天の意味である。
雨天の時は待ったならば晴れるのだが、待たなければぬれてしまう。

<佐藤一斎「言志録・百二十九」久須本文雄訳>(講談社)より

雨や嵐もいらだつことなく待っていれば、早晩晴れて幸福(日和)が到来する、との意味のようです。

学者は度を過ごすな

今日の夜はJCの次年度理事会、本日で来年度の年間事業計画が審議を経て、無事承認されました。皆さまお疲れさまでした。会合は21:30には終了、私は明日の入港に備えて早めに失礼させていただきました。海幸丸は明日いよいよ11月最後の入港、1日の休みを経ていよいよ今年の総決算、12月操業へ入ります。明日は早朝の入港・出荷や手続き事務等々、珍しく?昼間も慌ただしい1日となりそうです。

こちらはまた「言志四録」から一節をご紹介、どこから読んでも学びの多い奥深い古典の名書!
学んだことを実践するのは難しい!のですが・・。

学人は各々力を得る処有り。挙げて人に与えて看せしむ、固より可なり。
但だ主張はなはだ過ぎ、標して以て宗旨と為せば、即ち後必ず弊有り。
憂う可きなり。

佐藤一斎

学問をする人は、各自勉強して学識を得るから、これを総じて人に与えて見せるということはもちろん良いことである。
しかし、自分の主張する所が大変度が過ぎ、これを掲げて一種の宗旨??宗門教義の趣旨??となすようなことがあれば、
将来必ず弊害を招くことになりかねない。
これは憂慮すべきことである。

<佐藤一斎「言志後録・百三十九」久須本文雄訳>(講談社)より

博聞強記と精義入神

今朝は中1日で入港予定、というわけで少々早起きましたので、出勤前にブログ更新しております。
11月もすでに中旬!みかんと魚のまち“八幡浜”では、この晩秋から年末にかけてが、みかんも魚もシーズン本番となります。昨日の夕方車で登ってみたのですが、日の丸ブランドで有名な権現山のみかんは、今こんな感じです。農道を行き来するトラックも増えてきまして、夕方のジョギングも今はもっぱら愛宕山になっています。

今日は愛読書からのご紹介、というかメモです。

以前も本サイト「一語一会」で何度か取り上げたこともあるのですが、佐藤一斎の「言志録」には、こんな一節があります。


「博聞強記は聡明の横なり、精義入神は聡明の竪(じゅ)なり」


講談社発行(久須本文雄著)の訳では、

何ごとでも広く見聞して、よく記憶するということは賢明ということの間口にあたる。
詳しく道理を究めて、霊妙な奥義に入るということは、賢明ということの奥行にあたる。

となります。

また私の持っているもう一つの「言志録」(PHP刊/岬龍一郎訳)の注釈では、

博覧強記は人を聡明にする横の学問であり、深く道理を探求して奥義をわきまえることは、人格を磨き上げる縦の学問である。

となります。また同書の解説では、

何ごともよく知っているという博覧強記は学習によって横に広がるが、それは単に知識を知っているだけのことである。精義入神(道理を広く掘り下げること)は、いわば人間としての徳を磨く修養の学問である。どちらも大事ではあるが、西郷は前者を「本の虫」として蔑み、自分は一身に篤実だけを身につけた。「徳は才に優れり」というように、人間としては後者のほうに軍配があがる。

ともあります。

今の世でいえば博覧強記は知識一般、現代でのその証のようなものがさしあたり学歴や資格?といったところでしょうか。そうした“横の間口”は案外人物評価の基準になりやすい一方で、“縦の奥行”は、なかなか見た目で即座には認識されないために疎んじられがち・・?と思うのですが、これは昔も今も世の常なのでしょうか?縦横ともに狭くて浅い自分なのですが、これからは日々の生活を通じて、できることなら数ミリずつでも、“縦の奥行”を伸ばすことができればなぁ・・と思っている今日この頃です。


春景は秋には及ばない

20日が土曜だったため、週明けの今日は定期の“お支払日”、夜はJCの委員会でした。八幡浜もようやくお祭りモードから一転、街のあちこちに飾られていた幟や商店街の万国旗も、今日午前中には片付けられていたようです。気温のほうは昨日からグンと冷え込みまして、秋の気配・・どころか冬への通過点!といった感じでしょうか。金木犀の香りと橙に色づく段々畑が郷愁を誘う・・本当に良い季節です。「郷愁」といっても、私などは郷里八幡浜の土着民族?ですが・・。そういえば中国の古典「菜根譚」にはこんな一節もありました。

春日は気象繁華にして心神台蕩(たいとう)ならしむるも、秋日の雲白く風清く、蘭芳しく桂馨り、水天一色、上下空明にして、人をして神骨共に清らかならしむるに若かざるなり。

洪自誠

うららかな春の日は、花が咲き鳥がさえずって、景色が実ににぎやかで美しく、人の心もおのずから長閑(のどか)になって、のんびりとさせる。けれども、秋の日は、白雲がたなびき清風が吹き、蘭は芳しく木犀はにおい、昼は水も空も同じ紺碧の色をして澄みわたり、夜は清い月光が空や水にも満ちて、人の心は勿論のこと身までも、爽かならしめるのに比べれば、とても春の日の景色は秋のそれには及ばない。

<洪自誠「菜根譚・後集四十五」久須本文雄訳>(講談社)より

物事は平穏に

今朝のヤリイカは若干サイズが小さめ、総数は1200といったところでした。モノとサイズのわりには、相場は何とか持ちこたえた?感じでしょうか。ただし、アマギ等の“丸魚”は、まだ需要がないのか相場はサッパリでした。夕方は諏訪崎をトロトロ・・。天敵の蛇(へび)!に出くわす季節も終わったようですので、ようやく“山走り”のシーズン到来です。まだまだ距離は伸びませんが・・。こちらは昨日の子供みこしの写真、明日は私も踊ります。

凡そ事を処するには、須らく平平穏穏なるを要すべし。
人の視聴を愕かすに至れば、即ち事は善しといえども、或いは小過に傷つく。

佐藤一斎

だいたい物事を処理する場合には、なるべく平穏になすべきである。
人の耳目を驚かすようなことをすると、その事は善いにしても、
どうかすると、ちょっとした過誤を犯すことになりかねない。

<佐藤一斎「言志後録・百七十」久須本文雄訳>(講談社)より

軍師の心得8ヶ条

今日は日中もずいぶんと涼しい1日でした。海幸丸は予定通り10:00に出漁、漁は早くも10月の後半戦に入りました。ここからは相場の関係で、漁場(操業海域)間の移動も多くなる見込みです。ヤリイカと合わせて、アマギやエソ等も順調に獲れれば良いのですが・・。夜はJCの委員会に出席、生まれて初めて?まともに“アイロンがけ”も体験しました。(これまではいたるところで彼女や愛人が全て・・、あ、失礼しました・・)
今週は早くも秋の地方祭!18日には“てやてや踊り”にも参加いたします。

今日もまた先日取り上げた「新参謀学」(加来耕三著)からのご紹介です。

参謀学「始計篇」14か条によれば、軍師(戦略スタッフ)は、その心得として、次の8か条を繰り返し反芻、チェックしておく必要があるとのことです。

1.組織としての戦略的方向づけと、合戦における戦術・用兵の企画・立案ができているか。
2.組織環境を分析し、味方組織の長所・短所が合戦に際して最適となるよう手配りをしているか。
3.現在の戦略は環境の長期・短期的な変化の予測の上に立っているか。
4.戦略が組織構成員のすみずみまでしっかりと伝達されているか。
5.戦略・戦術が組織構成員の過半数の支持を得ているか。
6.合戦の諸戦術が、各々の部署に細かく伝授されているか。
7.合戦による勝利が、個々に利益として還元されることを教えているか。
8.現在の戦略や方針に従って、適所「人材」が確保されているか。

参謀たるもの、まさに手帳に貼り付けておくべき、常に確認したい8か条!ではないでしょうか。

この章で著者は、総大将(トップ)の備えるべき資質として“組織全体を包み込む包容力”を挙げています。いわく“信頼すべき人物にすべてを委ねて、自らはそれを信任して泰然自若としている姿勢が本来のあるべき姿かもしれない”(同書)とのこと。また、決定権を持つラインの長と権限を持たないスタッフの各々の役割を、戦国の世の武田家・斉藤家崩壊の例も交えて説明しています。
つまり、いかに優れた参謀・スタッフが数多くいようとも、決定権を持つラインのトップの包容力、決断力が欠ければ、政権崩壊、組織崩壊の道を作ってしまう、とのことです。

“トップはいつ、いかなる局面においても、組織全体の包容にこそ力を注ぐべきで、決して己れの感情を露わにしてはならない”(同書より)

ウーン、本当に身につまされる言葉です。
もう少しだけ、読書してから寝るとします。では!

深慮遠謀と分別

今朝は4:00過ぎの入港でした。総数はまずまずでしたが、連日の好天続きのせいか、相場は“やや下げ”といった感じでしょうか。午前中は久しぶりに出荷の手伝いに回りまして、夕方は自宅にて本と音楽で少々骨休めも・・。でも夜には一念発起してスポーツセンターに!睡眠不足にもかかわらず・・。やっぱり頭どうかしてますかねぇ・・?明日は幼稚園の運動会です。頑張ります!!って主役やないか・・?

たった今、ルドルフ・ゼルキン(p)のシューマン/ピアノ協奏曲を聴いておりました。
モノの本にはあまり出ていないCDで輸入盤ですが、なかなか音質も良く情感も豊かで、ひょっとすると掘り出し物かも・・。
ちなみに演奏は、オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団、録音は1964年です。

話題は変わって、先日に引き続き、「新参謀学」からのご紹介です。

「始計篇・参謀学2か条」では、「トップに求められる、深慮遠謀と分別」と題して、信玄の“人材選別術”が紹介されています。乱世の英雄は、有能な人材の確保には最大限の努力を払っていたようで、織田家の羽柴秀吉や明智光秀、武田家の山本勘助等々の働きをみれば、良き参謀の有無が一家の存亡に関わる時代であったことがうかがえます。
「人の長所は短所と直結しており、わずかな時間でその人物の“本質”を見抜くのは至難の業であった」(同書)、そんな中、信玄の挙げた、特に注意すべき人材選別の三つの基準(「石水寺物語」)とは、

1.分別ある者を佞人(ねいじん:口先が上手くて、心の正しくない人)と見まちがえないこと
2.遠慮の深い者を臆病と見まちがえないこと
3.がさつな人(荒っぽく、ぞんざいな人)を強者と見まちがえないこと

だそうです。まさに言い得て妙、というか、ためになるというか・・

信玄の言動には、「分別」、「遠慮」という単語がよく出てきたようです。
つまり参謀たるもの、常識や情勢を鵜呑みにせず、錯誤のない適度の妥協点を模索することが大切で、そのためには「分別」と「深慮遠謀」的な洞察力と弾力性をあわせ持つことが肝要、とのことです。人材に対する選択眼、鑑識眼も同じということでしょうか。

“黙する”という点では、自ら主張したり弁明したり、積極的に売り出してはじめて周囲に認められる、はたまた、言ったもの勝ち、やったもの勝ちの組織や風潮が顕著な今の世の中で、一人黙して「遠慮」、「分別」を守ることはとても勇気のいることです。自己主張やアピールも大事ですが、日本人なら、「武士は食わねど・・」的な、やせ我慢の美学、精神も時には大切やなぁと、読みながら改めて感じた次第です。いろんな面で・・。もちろん、黙するだけの能力と自信、つまり中身が伴えば、というのが前提条件ではありますが・・

私の場合は、とりあえず“男は黙ってサッポロビール”くらいですかね。
今日もお疲れ様でした。では、お休みなさいませ!

学者二大弊あり

今朝は4:30に入港、総数はヤリイカを中心に1500箱でした。今回のヤリイカはこれまでに増してサイズ、鮮度(色)ともに良く、相場もわずかですが上昇しました。荷揚げ後は少し時間をとって午前11:00に出漁、9月最後の航海へ向かいました。次回の入港予定は10月1日(月)です。ちなみに私の予定は、鮭とイクラの買い付けのために、週末は北海道です。というのは冗談で、JCの全国大会でして・・、今年は何と北海道、しかも帯広・・!なのです。

最近つくづく感じていること、考えていることか。(ないアタマで・・!?)
夕べもこんな文章に出会いましたので掲載してみます。

今の学者二大弊あり。一つは思わざるの弊なり。博聞強記を務め、古今の事蹟、和漢の制度より、諸氏百家の説に至るまで、極めざることなし。(中略)而して其の躬行心得如何と問えば、一つの言うべきなし。(中略)是れ他なし、学ぶと云えども聖賢の言を以て心身に服せず、古を以て今に思うことなければなり。二つは学ばざるの弊なり。虚論高議を宗とし、その言を聞くに、曰く、「我れ嘗て某の一句を読みて発明す」(中略)其れをして事に臨ましめば、一つも手を動かすこと能わずして已みなん。この二端は学者の大弊なり。自ら警めずんばあるべからず。

吉田松陰  嘉永二年(1849年)5月「講義存稿三篇」

〔訳〕

今、学問をする人には二つの大きな欠点がある。一つは考えないという欠点である。広く物事を聞き知り、それを記憶しようと努力している。色々な事柄や制度、諸氏百家の学説にいたるまで、知らないことはない。(中略)しかし、実践や理解はどうかと聞けば、一つとして賞賛すべきことはない。(中略)ほかでもない。学問をしたといっても、偉い先生の言葉を心で理解せず、昔の事蹟をもって、今に当てはめて考えたこともないからである。二つめは、学問をしないという欠点である。高尚にはみえるが内容のない議論を中心としている。その言葉を聞くと、「私はかつてある人の言葉を聞いて、真理を得た」という。(中略)そのような人に具体的な実務をさせても、一つとして手を動かすことさえできずに終わってしまう。この二つは学問をする人の大きな欠点である。自分からそうならないように戒めなければいけない。

「吉田松陰名言録」―人間を磨く百三十の名言―(川口雅昭著/致知出版社)より

獄に在っては獄で・・

海幸丸ですが、昨日の珍客!“大海亀”のご利益のおかげか・・夕方の網でヤリイカの“アタリ”がありまして、昨晩22:00に入港、今朝は4:30より荷揚げを行いました。今朝は、昨日からのお客様も早朝より来社されまして、魚市場もご案内させていただきました。一期一会のご縁を大切に、お互いWin=Win!で、末永い関係を築いていければと思っています。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

「自然と決めた。死を求めもせず、死を辞しもせず、獄に在っては獄で出来ることをする、獄を出ては出て出来ることをする」

吉田松陰 安政6年4月22日、門弟に

こちらも、先日読み終えた「ひとすじの蛍火―吉田松陰 人とことば―」(関厚夫)序文からの一節。
幕末、激動の時代の波に翻弄され、時につまずきながらも時代を切り開いていった行動の人、
吉田松陰らしい、迫力ある言葉です。
復習ついでに、時々ご紹介してみたいと思います。

歴史の法廷の被告席?

海幸丸は現在、豊後水道のヤリイカ漁場を操業中です。なかなかコンスタントに水揚げされない模様ですが、16日と17日は中央市場の連休のため、明日金曜にはいったん入港予定です。
それにしても昨日・・、ちょっと驚きました。おかげで私も脱力・・、日課のジョギングも忘れてしまいました。
そもそも国会とは、国会の開会とは、所信表明演説とは・・・!?
掲げられたビジョン・・?“美しい国”とは、“闘う政治家”とは、“職を賭す”との言葉の意味とは・・・?
さしあたっての法案!「テロ特措法」の行方は・・?構造改革路線は、拉致問題は、憲法や基本法は・・!?
ましてこのタイミング・・!様々に困難で複雑な理由はあるのでしょうけど・・

―  ?  ―  

やはり謎、不可解です。

いろいろと批評・論評するのは簡単ですし、マスコミや自分のような凡人の特権?ではありますが・・、
それを差し引いても、“前代未聞の国会軽視”(無視か?)の批判は免れないものと思われます。

総理が幼き日に、祖父の政治姿勢から受けたという“薫陶”とは何だったのか・・?。
祖父の安保改定と自らのテロ特措法を重ね合わせた上での、政権続行への決断、内閣改造ではなかったのか・・?
残念ながら結果として、岸信介や、敬愛して止まないという吉田松陰のように生きられなかったことだけは確かのようです。
一国の総理の決断ですから、国の将来にとって非常に重く、今後の政権運営にも影響が出るのは必至の状況です。
国際的にはどのように見られているのか・・も少々心配です。今のマスコミでなされている様々な論評よりも、後世に、
一体今回の“辞任劇”がどのように記憶されるのか、どう評価されるのか・・、そちらにも非常に興味があります。

早々と「そんなの関係ねー辞任」!!と名づけた人もいたようですが・・。全くその通りのような気もしてきました・・。

いやー、それにしてもトップ、リーダーとは、何とも孤独な生き物です。

でも、たとえ健康上の理由があったにせよ、

「ぶっ倒れたのならしょうがない、大平さんや小渕さんのように、命と引き換えにでも職責を全うするのが総理という仕事、それができないなら最初から立つべきではない!」

とコメントした元防衛庁長官の石破さんの言葉は、まさに至言といえるのではないでしょうか。

あー俺は凡人で良かった・・などというとあまりに不謹慎でしょうか?

総理の著書「美しい国へ」からの引用では、全く様にも、洒落にも?なりませんので、今日の「一語一会」は大御所に登場してもらいましょう。


「政治家とは歴史の法廷の被告席に立っている」

中曽根康弘


中曽根康弘著「リーダーの条件」(扶桑社)より

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はたして今回の辞任劇、歴史の法廷はどんな審判を下すのか・・

皆さま、どう思われますか?

中庸を得る

漁期解禁から一週間、この6日間は全て本船入港!と慌ただしく過ぎた一週でした。夕方は少し仮眠をとって、夜はJCの“懇親会付き例会”に出席しました。それにしても懇親会の余興!毎回いろんなアイディアで企画されて、様々な伝説が作られておりますが、今回もすごかった、いえある意味とても怖かったです。内容をここでご紹介できないのがとても残念ですが・・。皆さま、携帯電話の紛失ならびにメールの文章作成にはくれぐれもご注意を!私も以後気をつけます。

念頭濃(こま)やかなる者は、自ら待つこと厚く、人を待つこともまた厚く、処処皆濃やかなり。
念頭淡き者は、みずから待つこと薄く、人を待つこともまた薄く、事事皆淡し。
故に君子は居常の嗜好、甚だ濃艶なるべからず、また宜しく甚だ枯寂なるべからず。

心が細やかで入念な者は、自分に対して手厚いが他人に対しても手厚く、どこでも総てに手厚くて用意周到である。これに反して、心が淡泊で無頓着な者は、自分に対してもあっさりしているが、他人に対してもあっさりしていて、何ごとにつけても総てあっさりし過ぎて意を用いない。それで、有徳の君子は、日常の好みが余りに細やかで行きとどきすぎても良くないが、また余りに無味淡泊になりすぎてもよくない。

洪自誠

<洪自誠「菜根譚・前集四十一」久須本文雄訳>(講談社)より

何事も減らす工夫

海幸丸は朝から出漁のための最終準備、魚函4000ケースと氷20トン、そして残りの漁具の積み込みでした。会社のほうも船舶の準備書類の最終確認や来客等で、慌ただしく過ぎた1日でした。夜は、12日に行われた夏祭り「テヤテヤウェーブ」の反省会&懇親会でした。部会長、副部会長をはじめ、多くのボランティアスタッフの皆さま、誠にお疲れ様でした。YGP(ヤング八幡浜元気プロジェクト)の皆さま、来年も是非若い力で祭りを盛り上げてくださいませ!私ですか・・?K姉さんと一緒に“OGP”で頑張ります。上は明日の出漁を待つ海幸丸です。

人生一分を減省せば、便ち一分を超脱す。もし交遊減ずれば、便ち紛擾を免れ、言語減ずれば、便ち愆尤(けんゆう)寡し。思慮減ずれば、則ち精神耗せず、聡明減ずれば、則ち混沌完くすべし。彼の日に減ずるを求めずして日に増すを求むる者は、真にこの生を桎梏するかな。

洪自誠

人の一生は、何事についても、少しだけ減らすようにすれば、減らした分だけでも、俗世間の苦悩からぬけ出て自由になれる。たとえば、人との交際を少し減らせば、その分だけでもごたごたしたもめごとから免れるし、口数を少し減らせば、その分だけでも過失が少なくなる。また、心配ごとを少し減らせば、その分だけでも心の疲れが軽くなる。利口ぶることを少し減らせば、その分だけでも人間の本性が全うできる。しかるに、日々ことを減らそうとせずに、かえって毎日増やそうとしている者は、全く自分の一生を、あたかも手かせ足かせをはめて自分で苦しんでいるようなものだ。

<洪自誠「菜根譚・後集百三十一」久須本文雄訳>(講談社)より

靖国神社を守った神父

15日の終戦記念日。甲子園では地元愛媛の代表、今治西高校も順調に勝ち上がっています。八幡浜では恒例の“みなと花火大会”!今年も20:00から、約3500発の豪快な花火が打ち上げられました。毎年会社の屋上から見ながら思うのですが、技術が進歩しているせいか、より豪華できれいに、そして規模も大きくなっていくような気がします。「酔っ払っているからそう感じるだけでは!?」との声も聞かれますが・・。これはまた失礼いたしました。

こちらは今日読んでいた「英霊の言乃葉」からの一文です。

「靖国神社を守った神父」

自然の法に基づいて考えると、いかなる国家も、その国家のために死んだ人びとに対して、敬意をはらう権利と義務があるといえる。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。無名戦士の墓を想起すれば、以上のことは自然に理解できるはずである。
もし、靖国神社を焼き払ったとすれば、其の行為は、米軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残ることであろう。歴史はそのような行為を理解しないにちがいない。はっきりいって、靖国神社を焼却する事は、米国の占領政策と相容れない犯罪行為である。
                    ―(中略)―
我々は、信仰の自由が完全に認められ神道・仏教・キリスト教・ユダヤ教など、いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言するものである。

ブルノー・ビッテル

終戦後、日本に進駐した連合軍は、靖国神社の占領問題を取り上げた。同司令部内では「焼却すべし」という意見が大勢を占めたが、マッカーサー総司令官は、最後の決断を下すに際し、キリスト教会の意見を聞くこととし、駐日ローマ法王代表バチカン公使代理のビッテル神父に対し、靖国神社処分に対する使節団の統一見解を文書にて回答されたい旨を要望した。その答申(要旨)が先の文章である。終戦直後のあの混乱時、靖国神社に対し深く正しい理解を示し、同神社を守っていただいたブルノー・ビッテル神父に対し感謝と尊敬の誠を捧げたい。(社報「靖国」昭和56年7月号掲載、財団法人水交会会長・木山正義氏の玉稿『靖国神社とブルノー・ビッテル神父』より要約抜粋)

<平成14年7月靖国神社社頭掲示>

「英霊の言乃葉」(社頭掲示集第8輯)より転記

自然は最高の芸術

休息日、のはずでしたが、結局たまったメールの対応や日記の更新、午後はプールの付き添い、夕方は愛宕山ジョギング等々も。それにしても今日も暑い一日でした。甲子園も熱くなってきましたし、明日15日は62回目の終戦記念日。八幡浜では、夏祭りのフィナーレを飾る「花火大会」も開催されます。

林間の松韻、石上の泉声、静裡に聴き来たれば、天地自然の鳴杯を識る。
草際の煙光、水心の雲影、閑中に観去れば、乾坤最上の文章を見る。

洪自誠

林の中から聞こえる松風の響きや岩間を流れる谷川の水の音は、これを心静かに聴いていると、天地と自然が奏でる妙なる音楽であることが知られる。また、草原の果てにたなびく霞や澄んだ水に映える雲の影は、これを心のどかに悠然と眺めていると、天地自然が描いた最上の一幅の絵巻であることが知られる。人為ではとても企て及ばない。天然の音楽や自然の絵巻をよく味得して、豊かなる情操を養うべきである。

<洪自誠「菜根譚・後集六十三」久須本文雄訳>(講談社)より

人の上に立つ者は

午前中、長男が通う近所のピアノ教室の発表会があって、市民会館に行ってきました。まだまだ初級の中の初級・・のようで、最初のプログラムで出ていました。演奏曲はモーツァルト「アイネクライネ・ナハトムジーク」とベートーヴェン「歓喜の歌」!もちろん有名なメロディのみの片手演奏です・・。その昔、父親は半月でエレクトーン教室から泣く泣く逃げ出したことを考えると、まだ少しは期待がもてるのか・・?
つまらない身内話ばかりですみません・・「一魚一会」は会社のサイトでした。8月31日に出漁予定の海幸丸、来月初旬にドックイン、お盆前に整備完了予定です。

聡明にして重厚、威厳にして謙沖(けんちゅう)。人の上たる者は、まさにかくの如くなるべし。

佐藤一斎

人の上に立つ者は、当然、かしこくて道理に通じ、重々しくしっかりしており、態度がいかめしく、しかも控えめで、すなおであるべきである。

<佐藤一斎「言志録・七十九」久須本文雄訳>(講談社)より

雨ニモアテズ

本来であれば、今日はJC関連で「経営セミナー」が開催される予定でしたが、台風4号のため講師の先生の交通手段にも影響が出たために、急きょ延期となりました。列島を縦断している台風4号の影響で、連休の予定も取りやめ!となった皆様も多いのではないでしょうか。台風はまさに自然災害、最低限の備え以外には手の施しようもありません。なかなか「雨にも負けず、風にも負けず」とはいかないものです。
先日産経新聞で、この宮澤賢治の「雨ニモ負ケズ」のパロディ版(現代っ子版?)を見つけましたので、ご紹介してみます。その名も「雨ニモアテズ」だそうです。

雨ニモアテズ 風ニモアテズ

雪ニモ 夏ノ暑サニモアテズ

ブヨブヨノ体ニ タクサン着コミ

意欲モナク 体力モナク

イツモブツブツ 不満ヲイッテイル

毎日塾ニ追ワレ テレビニ吸イツイテ 遊バズ

朝カラ アクビヲシ  集会ガアレバ 貧血ヲオコシ

アラユルコトヲ 自分ノタメダケ考エテカエリミズ

作業ハグズグズ 注意散漫スグニアキ ソシテスグ忘レ

リッパナ家ノ 自分ノ部屋ニトジコモッテイテ

東ニ病人アレバ 医者ガ悪イトイイ

西ニ疲レタ母アレバ 養老院ニ行ケトイイ

南ニ死ニソウナ人アレバ 寿命ダトイイ

北ニケンカヤ訴訟(裁判)ガアレバ ナガメテカカワラズ

日照リノトキハ 冷房ヲツケ

ミンナニ 勉強勉強トイワレ

叱ラレモセズ コワイモノモシラズ

コンナ現代ッ子ニ ダレガシタ


宮澤賢治のふるさと、岩手県盛岡市の小児科の医師が学会で発表したものだそうで、
現代の若者と親の姿を皮肉ったもののようです。作者は学校の校長先生!とのことです。

いやーごもっとも!で、子を持つ親としては、反面教師にしたいものです。
まずは我が身から・・ですね。お疲れ様でした!

三つの思いやり

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今朝には長崎からの機関部品も無事到着、本来ならすぐに本船に装着!と行きたいところでしたが、こちらの段取り不足や連携ミスで週末まで延期となってしまいました。最近、我が家でも丸魚、特に白身魚を食べる機会が少なくなっています。海幸丸の休漁期ですから仕方ないのですが、そろそろ白身魚も恋しくなりましたので、美味しそうな写真のみ掲載しておきます。以下、久しぶりに「菜根譚」の一節をメモします。本当にためになる言葉です。実行できれば、ですが・・!

人の小過を責めず、人の陰私を発かず、人の旧悪を念わず。
三者は以て徳を養うべく、また以て害に遠ざかるべし。

洪自誠

人の小さな過失はとがめることをせず、人の個人的な秘密はあばきたてることをせず、人の過去の悪事はいつまでも心に留めることをしない。
この三つのことをよく心がけて実行するならば、自分の徳性を養うことにもなり、また人から怨まれることもないので、災難から遠ざかることができる。

<洪自誠「菜根譚・前集百六」久須本文雄訳>(講談社)より

道徳の上で人を観よ

朝から海幸丸のエンジン部品の運び出しのため、久しぶりにクレーン車にも出動!いただきました。雨が心配されましたが本降りになる前に無事終了、トラック便は長崎に向けて出発しました。愛○基礎工業様、どうもありがとうございました。夜はソフトボールの予定が雨で中止に、代わりに次の日曜に迫ったトレイルランニングに向けて、少しばかり秘密の?トレーニングに行ってきました。雨天決行のトレイルラン!
「M」の私は、土砂降りのレースを密かに・・期待しています。

人の賢不肖を論ずる、必ずしも細行を問わず。
必ず須らく倫理大節の上に就きて、その得失如何を観るべし。
然らざれば即ち世に全人無けん。

佐藤一斎

人の賢愚を論じる場合は、細かな行動については問題にすべきではない。
必ず人が守らなければならない道徳の上に立って、その人の行為の是非得失のいかんを見なければいけない。
細かな点まで論じたのでは、世の中に完全無欠な人はいないであろう。

<佐藤一斎「言志後録・二百十五」久須本文雄訳>(講談社)より

貧富は天の定め

珍しく午前中の用事がない土曜の休日!でした。子供たちを連れて近くの北浜公園へ行きまして、結局そこでは飽きたらず、今度は4kほど離れた“王子の森公園”まで出かけました。夕方は少しばかり秘密のトレーニング2時間、おかげで美味しいビールが飲めました。夜は本を読んだり音楽を聴いたりと、独りマッタリと過ごしました。平凡な休日の1日でした。これといったネタもありませんので?また「言志四録」の一節をメモして休みます。

富人を羨むことなかれ。彼今の富、いずくんぞその後の貧を招かざるを知らんや。
貧人を侮ること勿れ。彼今の貧、いずくんぞその後の富を胎せざるを知らんや。
畢竟天定なれば、各々其の分に安んじて可なり。

佐藤一斎

富める人をねたんではいけない。彼の現在の富が、どうして後日の貧乏を招かないものであるということがわかろうか―招くかもしれない―。また、貧しい人を軽蔑してはいけない。彼の現在の貧しさが、どうして後日の富のものでないことがわかろうか。―もととなるかも知れない―。
つまり貧・富というものは人為的なものでなく、天の定める所―運命―であるかして、各自その本分―職務―に安住していけばよいのである。

<佐藤一斎「言志晩録・百九十」久須本文雄訳>(講談社)より

難問題の解決法

国連食糧農業機関(FAO)の調べによれば、日本の水産物の輸入金額が激減しています。同機関によれば1997年に27.4%だったシェアが、2004年には19.4%に下落、大きな要因は欧米を中心とした世界的な魚食ブームです。今後、消費急増が予想される中国では、ここ30年で国民一人当たりの消費量が5倍に増えているそうです。この“魚の争奪戦”が、浜値にも反映されればいいのですが・・

凡そ大硬事に遇えば、急心に剖決するを消いず。須らくしばらく之を置くべし。
一夜を宿し、枕上に於いて粗商量すること一半にして思をもたらして寝ね、
翌旦清明の時に及んで、続きて之を思惟すれば、則ち必ず恍然として一条路を見ん。
すなわち義理自然に湊泊す。然る後に徐ろに之を区処すれば、大概錯誤を致さず。

総て非常に困難な事に出会ったならば、心をあせらせて解決してしまう必要はない。しばらくそのままにしておかなければいけない。一晩そのままに留めておいて、枕もとでざっと半分くらい考え、そのことを考えながら寝て、翌朝心がさっぱりしてさわやかな時になって、引き続いてこれを考えてみると、必ずぼんやりと一条の解決の道が見えてくる。そうなると、困難な事の筋道―道理―が自然に心の中に集まってくるものである。それから、ゆっくりと難問題を一つ一つ処理していけば、たいていは間違いを起こさない。

<佐藤一斎「言志後録・四十五」久須本文雄訳>(講談社)より

身分相応に

海幸丸曳きあがりのお礼参りを兼ねて、一泊の慰安&研修旅行に行ってきました。参加者は社長以下、海幸丸乗組員14名、漁協職員3名を含む24名(もちろん全員男、おっちゃんです!)マイクロバスで一路松山へ向いました。今回は直売店トロール市の店長らも参加、そのため土曜以外はまず休みをとらないトロール市も、今回は臨時休業とさせていただきました。お取引先の皆様、ご協力ありがとうございました。

人は須らく貴賎各おの分有るを知るべし。
貴人にして賎者の態を模倣し、賎者にして貴人の事を僭窃(せんせつ)せば、
吾れ辱を之れ招くに非ざれば、則ち災いに之れ及ぶことを知る。

佐藤一斎

人には貴賎の別があって、各々守るべき分限のあることを知らなければならない。
貴い身分の人であって、身分の低く賤しい人の様子をまねたり、
賎者が分を超えて貴人のすることを盗み真似るようなことをすると、
恥辱を招くことにならなければ、災害を受けることになるであろうと思う。

<佐藤一斎「言志後録・七十六」久須本文雄訳>(講談社)より

聞と達

本来であれば明日(10日)に入港予定の海幸丸でしたが、白ムツ、ニギスなど原魚のまとまった水揚げがあって、急きょ今朝5:00過ぎに入港しました。高知沖操業は残り2航海、現在の予定では13日(日)と16日(水)の入船を予定しています。
以前にもご案内しましたが、弊社のトロール漁が取り上げられた昨年のNHK番組“四国羅針盤”に引き続き、7月放映の新たな番組(何と50分!?)も現在制作中とのことで、今朝の出漁時にも、いつものディレクター&カメラマン3名が海幸丸に乗船、取材のため乗組員とともに出漁?いたしました。慣れないカメラを向けられて、最初はぎこちなかった乗組員の面々も取材を重ねるごとにずいぶん“カメラ慣れ”したようで、今では“役者気取り”です。さてさて、どんな番組になることやら・・?

管弦四方に在りて、声四方に聞ゆ。聞なり。
巌石谷に倒れ、響きて大地に徹す。達なり。

佐藤一斎

楽器が堂内にあって、その音が四方に聞こえる。これは聞なのである。
岩石が谷にくずれ落ち、その音響が大地にひびきわたる。これは達なのである。

この聞と達について、江戸初期の儒者で古学派の伊藤仁斎(1627-1705)は、
「聞は中が空虚で外に外聞があり、実を務めずして名を務める。
達はここに足りて彼に通ずる。自ら心中を修めて、人に知られることを求めない。
すなわち誠と偽のあるところ、君子と小人の分るるところである」(『論語古義』)と評している。

<佐藤一斎「言志晩録・百八十二」久須本文雄訳>(講談社)より

つまづきのもと四つ

午前中は大洲市へ一件配達、営業の用事も兼ねて行ってきました。午後からは来週月曜からの東京出張準備、メインの目的は水産庁関連の支援施策の情報収集ですが、縁あって直販業務の新規営業先も3件ほど訪問させていただく予定でおります。夕方は、ジョギングに出ようかと思いましたが、昨日のソフトボールのピッチャー&キャッチャーで下半身が軽い筋肉痛、というわけであっさり中止・・!だめですねー。というわけで、久しぶりに夜の会合もないため、自宅で本を読んでいます。それにしても訳・注釈付きの“古典シリーズ”は、わずかな時間に、どこから読んでもためになる欠かせないアイテムです。今日は、中国の古典“菜根譚”から、一節をご紹介します。

偏信して奸の欺くところなることなかれ。
自任して気の使うところとなることなかれ。
己の長をもって人の短を形(あらわ)すことなかれ。
己の拙によりて人の能をい忌むことなかれ。

洪自誠

一部の意見を鵜呑みにして腹黒い者のペテンにかかるな。
自信にまかせて大役を引きうけ、それに追われて主体性を失うな。
自分の長所をふりかざして、人の弱点をあばくな。
自分が無能だからといって、人の才能に反感を抱くな。

<洪自誠「菜根譚・前集百二十」>(徳間書店)より


進む時に退く工夫

8日の第二日曜日、魚市場では“八幡浜海鮮朝市”、市内の商店街では“八日市”(売り出し)の日でした。漁の出来によっては、海鮮朝市に合わせて帰港予定の海幸丸でしたが、結局不漁で入港は見合わせました。今日は統一地方選挙の投票日、私も午後から投票所である母校“白浜小学校”へ行ってきました。とても懐かしい白浜小の体育館、今日は投票所ですが明日はピカピカの新一年生を迎えての入学式会場となります。

手を進むるの処、便ち歩を退くるを思わば、庶わくは藩に触るるの禍を免れん。
手を着くるの時、先ず手を放つを図らば、僅かに虎に騎るの危うきを逃れん。

洪自誠

進んで事をなすに当たって、万一成功しなかった場合のことを考えて、予めその用意をしておくならば、あたかも、雄羊が角に垣根をひっかけて進退きわまるような羽目に陥らずにすむことになろう。進むときには退くことを考えておかなければならない。また、事を成す場合に、いよいよそれに着手する時でも、万一止めた時のことを前もって考えて用意しておくならば、あたかも、虎に騎ってどうしても下りられぬような危険から脱れることができるであろう。始める時には止める工夫をしておかなければならない。

<洪自誠「菜根譚・後集二十六」久須本文雄訳>(講談社)より

意思決定の束!?

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終日事務所で月報等の整理などをしておりました。登記関係で長年迷っていた案件も専門家の方との相談のもと、いったん方向性が定まりました。日々の仕事は(仕事に限らず人生も!でしょうが・・)小さな意思決定の積み重ね、最近つくづくその縁と重みを感じます。そういえば“ディシジョンツリー”という言葉もありました。明日の昼ごはん、うどんの具を”天ぷら”にするか”わかめ”を選ぶかで、その後の人生が劇的に変わってくる可能性だってあるわけです。メニュー選びだって侮れません!悔いのない意思決定を重ねたいものです。

成果をあげるためには、意思決定の数を多くしてはならない。重要な意思決定に集中する必要がある。ここの問題ではなく、根本的なことについて考えなければならない。問題の根本をよく理解して決定しなければならない。不変のものを見なければならない。したがって、決定の早さを重視してはならない。あまりに多くを操ることは、かえって思考の不十分さを表す。

ピーター・ドラッカー「プロフェッショナルの条件」より

無字の書を読め

とても暖かい1日でした。中小企業支援センターの当番日で大洲へ。今日が最後の当番日でした、商工会議所より委嘱を受けて、担当してきた相談業務も丸3年、4月からは制度見直しの関係で事業終了となります。O商工会議所の皆様、大変お世話になりました。海幸丸は、高知沖から豊後水道南沖へ漁場変更して操業中です。明日からまた荒れ模様の天候です。私は日曜から1泊で姫路、戻って水曜から東京の予定です。

学は自得するを貴ぶ。人は徒(いたずら)に目を以て字有るの書を読む。故に字に局して、通透するを得ず。当に心を以て字無きの書を読むべし。すなわち洞して自得する有らん。

佐藤一斎

学問は自ら心に会得することが大切である。しかるに、世の中の人々はいたずらに目で文字を書いた書物だけを読むから、文字に拘束されて、紙背にある物事の道理を明らかにすることができない。心眼を開いて、字で書かれていない書物、すなわち実社会の色々な事柄を心読して修養に資するようにしなければいけない。そのようにすれば、深く自分の心に会得する所があるだろう。

<佐藤一斎「言志後録・百三十八」久須本文雄訳>(講談社)より

施しをするときには

今日は昨日とうって変わってのかなりの冷え込み様でした。一気に真冬に舞い戻った感じです。海も大荒れで、さすがの八幡浜魚市場も今日の入荷は少ない様子でした。海幸丸は宮崎沖にて操業中で、明後日に入港の予定です。今日は夕方、岡山に住む知人が仕事で来浜、わずかな時間でしたが一緒に食事へ。7年前に知り合ったのですが、いろんな縁やら巡りあわせが重なって、今もお付き合いが続いています。楽しい時間をありがとうございました。写真は今日、近所の神社“宮島様”で行われたお神楽の様子。

施しをするときには

見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。そうでないと、あなたたちの天の父のもとで報いをいただけないことになる。
だから、あなたは施しをするときは、偽善者が人からほめられようと思って会堂や街角でするように、見せびらかしてはならない。はっきり言っておくが、こういう人々はもう報いを受けている。
施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。それは、あなたの施しが人目につかないためである。そうすれば、隠れたところで見ておられる父が、あなたに報いてくださるのだ。

マタイオスによる福音:第6章より(「新約聖書」共同訳・全注/講談社学術文庫)

海幸丸明日入港決定!

2月も残すところあと2日。月日が経つのは本当にあっという間です。私も来月にはまた一つ年をとります。今日もいろいろと忙しい月曜日でしたが、夕方は古本屋で書籍3冊購入、(ひまな証拠か?)こちらはまたいずれご紹介いたします。夜は八幡浜商店街が取り組んでいる情報発信事業(サイト運営)の会合にも出席いたしました。で、本業の海幸丸、本来であれば28日(水)の入港予定でしたが、急きょ明日火曜に帰港することで本日決定いたしました。その理由ですが・・・、残念ながら想定外の大漁!ではありません。理由の詳細は、明日のこのブログでたっぷりとご紹介させていただきます!皆様どうぞお楽しみに!

現実の生活というものはすべて完全でなくて当たり前なのだ。
いかなる政府が、どれほどよく政治を整えても、生活が当人の望むほど完全になることはない、
ということを、親も教師もマスコミも政治家も言わないで、嘘ばかりつくのである。

曽野綾子

「”受ける”より”与える”ほうが幸いである」

「善人はなぜまわりの人を不幸にするのか」(祥伝社)より

公正な経済社会を・・

連休明けで、何かと業務の締め切り等が重なるバタバタとした1日でした。午後からは松山にて一件会合、夕方には八幡浜に戻って夜はJC三役会に出席しました。21時30分の帰宅でしたので、今日はジョギング中止?かと迷いましたが、思い直して3kだけ走ってきました。操業中の海幸丸ですが、沖はかなりの時化模様で、天候次第では明日入港して月の“中休み”をとる予定です。明日は、昨年から進めてきた“省エネルギー技術導入促進事業”に関連した現地調査ということで、水産庁はじめ大学や水産研究所の専門家の方々が来浜、午後から会議の予定です。

ずいぶん前に使っていた手帳から出てきたメモですが、住専改革に臨むにあたっての中坊さんの信条?でしょうか。整理ついでに掲載しておきます。

<公正な経済社会を実現するための10か条>

企業のトップは、

一、歴史の批判に耐えられる長期かつ基本的な視点をもって行動を
二、着手先行型でなく、理念先行型で出発しよう
三、目的を達成するための手法こそ重要との認識を
四、経営の根幹は道理(公正)と透明性を軸に
五、血も涙もない手法をとってはならない
六、戦いに臨むにあたってはまず自らの退路を断て
七、闇の世界と絶縁するためには「わりに合うか」どうかという基準で物事を判断してはならない
八、目先の利益にとらわれて「汚い人間」と手を結ぶな
九、企業を透明化することを恐れてはならない
十、お客に接する時は企業ではなく「家業」の心構えで

中坊公平

自然のままな姿

昨夜水揚げしたアマギ約400箱は、今朝のセリで販売されました。サイズは若干小さかったのですが、即日入港ということで鮮度もよく、相場もまずまずでした。トロール船海幸丸の漁は、2月に入ってアマギが中心ですが、先週から八幡浜市場では巻き網船でタチウオが豊漁です。今朝の水揚げは一船団一晩の操業で130トン!トロール漁と違って巻き網漁は目的魚種が単一で、主にアジやタイ、タチウオといった獲物を狙って操業しています。最近は、中国や韓国向けのタチウオの輸出が好調で、今朝の荷物も大半は仲卸業者、商社を経由して輸出される見込みです。
大島沖のタチウオ豊漁は、けっしてトロール船ではありませんのでお間違いなく・・M専務!(笑)

意の偶会する所、すなわち佳境を成し、物は天然に出でてわずかに真機を見る。
若し一分の調停布置を加うれば、趣味はすなわち減ず。
白氏云う、「意は無事に従って適し、風は自然を逐いて清し」と。
味あるかな、其のこれを言うや。

洪自誠

偶然にもわが心に適った所というものが、それこそ佳い境界というべきものであり、少しも人工を加えないで天然自然のままにできた物にこそ、真の妙味がある。もしも少しでも人工を加えて取りつくろったり並べたてたりするならば、妙味が減じてしまうのである。唐の詩人白楽天が「心は無事平穏な時がのどかで楽しく、風は自然のままに吹いてくる時がすがすがしい」といっているが、誠に意味深長な味のある言葉ではないか。

<洪自誠「菜根譚・後集八十二」久須本文雄訳>(講談社)より

無言こそ雄弁

海幸丸は、早くも今月最後の航海に入りました。漁場はいつもの豊後水道南沖ですが、現在のところ、アマギ、ヤリイカ、コウイカがほぼ順調に水揚げされているようです。今月もかろうじて?目標水揚げは何とかクリア!今季も残すところ実質3ヶ月ですが、2月は日数が少ないだけに、漁労長にとっては試練の月となります。引き続き航海安全と大漁!をよろしくお願いします!次回は31日に入港して、乗組員は翌朝(1日)まで“月末休み”に入る予定です。

物言ひの肝要は言わざる事なり。言わずして済ますべしと思えば、一言も言わずして済むものなり。
言わで叶わざることは言葉少なく、道理よく聞こえ候様いうべきなり。
むさと口を利き、恥を顕わし、見限らるる事多きなりと。

山本常朝

話し方のコツは、何も言わないことである。言わずに済まそうと思えば、一言も口をきかずにすむものだ。
どうしても言わなければならないことは、口数を少なく、筋道がよく分かるように言わねばならぬ。
不用意に口をきけばぼろを出し、軽蔑されるのがおちである。

<山本常朝・田代陣基『続葉隠・聞書第十一』>(徳間書店)より

養生の道は多言を・・

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昨日の貧血騒動?から一夜明けました。皆様のおかげで体長も、、いえ体調も回復しまして今日は静かに通常のデスクワーク。夜はJC三役会にも出席しました。メンバーの皆様にお会いするたびに心配のお声をかけていただいて、本当にあり難いことです。さすがに今日一日はジョギングも運動も控えました。明日からは様子を見ながら再開しようと思います。というわけで、今日は「養生訓」(貝原益軒/上)の一節を肝に銘じつつ就寝します。

養生の道は多言を必要としない。
実行することは、大食せず、体に悪いものを食べず、色欲をおさえ、悩み事をなくすことである。
心を平静にし、言葉を少なくし、まわりの環境に合わせた生活をし、適度な運動を行い、食後にすぐ寝ないように心がけることが大切である。

貝原益軒「養生訓」抄訳 第2巻16より

改革は期を見てなせ

週明け月曜日、提出期限の迫っている書類の作成や今週の仕事の準備等々をしておりました。午後には、お世話になっている知人より、面白い企画もご提案いただきました。ありがとうございます。1月も半ば、マラソンシーズンもいよいよ本番です。夕方には、“JC駅伝部”?の初練習にも参加しました。練習後にはトレーニング量を大幅に上回る美味しいビールと焼鳥をいただきましたが・・M先輩、ご馳走様でした。
今年は、無謀にも!2月4日の“愛媛マラソン10kロードレース”、翌週11日の“八幡浜駅伝カーニバル”の両大会に出場予定です。それまでの夜の会合や出張予定等を考えると、暇を見つけては練習しとかんと・・。昨年に引き続き、同じ区間で出走予定の“一花入魂君”(商工会議所青年部)は、今年はどうも本気モードやしなぁ・・。どうかお手柔らかに!!

事已むことを得ざるに動かば、動くとも亦悔なからん。革の快に在りて曰く、「已みぬる日にすなわち之を革(あらた)む」とは是なり。若し其れ容易に紛更して、快を一時に取らば、外面美なるが如しと雖も、後必ず臍を噛まん。政を為す者、宜しく戒むべき所なり。

佐藤一斎

已むを得ない事情があってなすことは別に後悔することはない。それで、「易経」革掛の六二には「己日乃ち之を革む。征けば吉にして咎なし」(革むべき好期に革めれば過は無い)とあるのはこの事をいうのである。もしも、革(あらた)めるべき時期でもないのに、軽率に改革して、その時だけの快感を得たならば、外面は立派そうに見えても、後になって必ず後悔することであろう。為政者はこの点をよく戒め慎むべきである。

<佐藤一斎「言志後録・一九六」久須本文雄訳>(講談社)より

内的知と外的知

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1月5日、八幡浜魚市場では今日が“開市”で“新年初セリ”でした。海幸丸も今朝入港、出漁時に故障で出遅れたせいもあって、水揚げ総数は600箱程度とふるいませんでした。今回はコウイカと水エソが中心でしたが、相場は“新年ご祝儀相場”!とはいかず、イカと原材料(水エソ)に関しては例年並み、やはり丸魚は弱めといった感じでした。“マダイやヤリイカはおらんのか”と数名の仲卸さんから問われましたが、“みんなが欲しい時には揚がらない”のが天然漁業の難しいところで、それが天然魚の価値ですのでどうかお許しを・・。また1年間、海幸丸の天然魚をどうぞよろしくお願いいたします。

凡そ教えは外よりして入り、工夫は内よりして出づ。
内よりして出づるは、必ずこれを外に験し、外よりして入るは、当にこれを内に原(たず)ぬべし。

佐藤一斎

だいたい、教えというものは外から入ってくるものであり、工夫―知恵―というのは自分の内部から出るものである。それで、自分の内部から色々と考え出したものは、必ずこれを外部において確証すべきであり、また、外から入ってくる教え―知恵―は、ぜひこれをよく自分で調べて当否を研究すべきである。

<佐藤一斎「言志後録・五」久須本文雄訳>(講談社)より

太平の気習

魚屋さんの年末商戦の代表といえば、養殖のハマチやタイ。近年は、安値が続いていましたが今年に入ってからは、世界的な魚食ブームや中国需要の急増で高値が続いています。生産業者にとっては、出荷物が経営を維持できるだけの適正な価格で販売されることは、うれしいことです。今日出席したとある会合で、某代議士さんが言われていましたが、今年の価格は適正な需要と供給のバランスから出来ている、相場が良いからといって大量に作る、売ることを考えるのではなく、長い目で相場を維持する策を関係者が考えていかなければいけないと・・。全くその通りです。養殖に限らず天然漁業も、将来が見通せる、計画できる事業に一歩でも近づきたいものです。

太平の気習として、戦は万代の後迄もなきことの様に思うもの多し、あに歎ずべきの甚だしきに非ずや。

吉田松蔭 嘉永6年(1853年)8月「将級私言」

平和な時代の気持ちや雰囲気として、戦争は永遠にないことのように思っている人が多い。
何と嘆くべきことではないか。

「吉田松陰名語録」川口雅昭(致知出版社)より

不完全こそ安全

昨晩荷揚げした魚約1000箱は、今朝のセリで販売。やはり暖冬やらウィルス騒動やらで、供給量が需要を上回っているためか、丸魚、原材料ともに相場は“今ひとつ”でした。関連会社の佐賀水産(第11・12仁洋丸、21・22仁洋丸)の拠点、山口県下関港も同様で、相場安のため12月らしからぬ!水揚高(仕切り金額といいますが・・)が続いています。困ったものです。
午後からは地元のE新聞より、今季のヤリイカ漁の取材を受けました。毎年、苦境の記事ばかりで登場?していましたので、時には明るい話題で取り上げられるのも良いものです。といいましても、好調なヤリイカ漁は、実質的には解禁からの3ヶ月間だけで、今は苦難の12月操業の真っ只中ですが・・。今月も残り10日!今後の巻き返しに期待したいところです。次回入港は24日(日)の予定です。

欹器は満をもって覆えり、撲満は空を以って全し。
故に君子はむしろ無に居るも有に居らず、むしろ欠に処るも完に処らず。

洪自誠

水を満たせば倒れる器、銭でいっぱいになれば割られる貯金箱。人生とはこうしたものだ。
無の境地に身をおき、不完全な状態に甘んじていることが、君子としての最も安全な道である。

<洪自誠「菜根譚・前集六十三」>(徳間書店)より

忙時に冷静、閑時に熱情

今日は第二日曜、八幡浜は月に一度の“海鮮朝市”の日です。9月から始めた当店の“朝市の魚切りますサービス”も4回目、並ぶほどの盛況?とはいきませんが、ご希望のお客様も少しずつですが見受けられるようです。昨晩水揚げされた400箱の鮮魚は今朝7:00からの競りで売られましたが、私のほうは昨日からのアクシデント対応で、昨日に引き続き愛南町を往復してきました。今日は漁労長も同行しました。昼には何とか用件終了、昼過ぎには八幡浜へ戻って14:00に海幸丸は漁場へ向かって出漁、通常操業に戻りました。自然相手の商売だけに、今回のような予期せぬトラブルや事故にだけは本当に注意したいものです。全ての危険を回避することなどもちろん困難ですが、事前にできる準備・確認は改めて徹底しなくては・・。“大漁”の前に、まず何よりも“航海安全”が基本です。

熱闘の中に、一冷眼を着くれば、便ち許多の苦しき心思を省く。
冷落の処に、一熱心を存すれば、便ち許多の真の趣味を得ん。

洪自誠

事が煩雑で多忙な時には、のぼせ上がるから、殊さら心を落ちつけ冷静な眼で対処すれば、色々と苦しい思いをしなくてすむ。また、景気がよくない時には、気が沈みやすいから、つとめて熱情を以って積極的に事に当たれば、本当の趣を味得することができる。繁忙な時には冷静な眼を失わず、不景気な時には熱情を失わないようにすることが、処世の活訓である。

<洪自誠「菜根譚・後集五十八」久須本文雄訳>(講談社)より

実事と閑事

土曜日で魚市場も休みです。昨晩の大量のアルコール!を抜くために午前中は愛宕山までランニング、午後からは買い物や年越しの諸々の準備などをしていました。12月に入って急に寒さが増しています。今日の八幡浜は冷たい突風で大荒れ、自転車は軒並み倒れ、スチロール製の魚函は宙を舞っておりました。冷え込みが厳しくなると魚価が上昇するため、漁師は喜びます。なので今年の“暖冬”?は私たちにとってはいただけないですね。漁ができないほどの時化は困りますが、やっぱり冬は冬らしく!寒いほうがいいですね。オイルヒーター(↓)もいただいたことですし!お天道様、”冬らしい冬”をよろしくお願いします!海幸丸は明日入港予定です!

今人概ね多忙を説く。
其の為す所を視るに、実事を整頓すること十に一ニ、閑事を料理すること十に八九。
又閑事を認めて以って実事と為す。宜べなり其の多忙なるや。
志有る者誤って此の穴を踏むこと勿れ。

佐藤一斎

今時の人は、たいてい口ぐせのように忙しいといっているが、その日常の行動を見ていると、実際必要なことをちゃんと処理し整えていることが、わずか十の内一、二であって、不必要な事を十の内八、九もしている。また、このつまらない不必要な事を実際に必要な事と思っている。これでは多忙であるというのももっともなことである。何かしようと志をもっている人は、誤ってこのような心得ちがいをしてはいけない。

<佐藤一斎「言志録・三十一」久須本文雄訳>(講談社)より

松井選手のメッセージ

週明けでいろいろと忙しいはずでしたが、風邪をひいたようです。朝からのども痛く微熱も・・。というわけで出社せず、自宅で休みながらデスク仕事。近所の病院にも行って薬もいただきました。昨日、スポーツセンターのサブアリーナで行われた“ふれあい運動会”にJCから参加協力してきたのですが、その時からいやな予感がしていました。一日休んで明日からは全快!といきたいところです。

≪産経新聞に寄せられたメッセージ全文≫

次々と子供たちが自らの手で命を絶つことには、僕も我慢がなりません。
いろいろな理由があるにせよ、いじめをしている人、いじめで悩んでいる人には、
もう一度じっくり考えてほしい。

あなたの周りには、あなたを心底愛している人がたくさんいるということを。
それは家族であり、親戚(しんせき)であり、友人であり、先輩であり、後輩であり、
時にはペットであるかもしれません。

人間は一人ではない。いや一人では生きてはいけないのです。
だから、そういう人たちが悲しむようなことを絶対にしてはいけないと僕は考えます。
相手の身になって、もう一度考えてみてください。

ニューヨーク・ヤンキース 松井秀喜

ヴェルディの教訓

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私用で午後からお隣の大洲市へ行ってきました。ついでにちょうど今日地方紙に掲載されていた“稲荷山公園”(大洲市新谷)の紅葉も見てきました。一面の真っ赤な紅葉がとても奇麗でした。でも個人的には、5分咲き、ではなく“5分紅葉”か“3分紅葉”?くらいのほうが好きです。先日“面河”で見てきたような感じでしょうか。昨日出漁した海幸丸ですが、またまたヤリイカ漁が順調のようです。明日23日早朝の入港予定です。以下は、かなり昔!(10年以上?)に読んだ本の記憶に残る一節です。

わずか18歳の私には、80歳などという歳は、想像も出来ないものでした。当時私は、80歳の人など、一人も知らなかったと思います。平均寿命が50歳かそこらであった65年前には、80歳は、普通の歳ではありませんでした。
そして私はヴェルディが19世紀の最高のオペラ作曲家であるワーグナー(1813‐1883)と肩を並べるほど功なり名とげた身でありながら、しかも80歳という歳で、なぜさらにもう1曲のオペラ、それも並はずれて難しいオペラを書くという、大変な仕事に取り組んだのかを聞かれて、彼自身が書いた答えを読んだのです。

「音楽家としての全人生において、私は常に完全を求めてきた。そしていつも失敗してきた。私にはもう一度挑戦する責任があった」

私はこの言葉を忘れたことはありません。それは、心に消すことのできない刻印を印してしまっています。
(中略)私は、そのとき、そこで、一生の仕事が何になろうとも、ヴェルディのあの言葉を道しるべにしようと決心したのです。そのとき、いかに年をとろうとも、けっして諦めずに、目標とビジョンをもって自分の道を歩き続けよう、そしてその間、失敗し続けるにちがいなくとも、完全を求めていこうと決心したのです。

P・F・ドラッカー

「創生の時」??P・F・ドラッカー/中内功 往復書簡??(ダイアモンド社)より

人の盛衰は善悪とは別

今日は土曜で休日、朝から家族で近くの公園(王子の森公園)へ出かけました。最近、長男が補助輪なしの自転車を覚えて行動範囲が広がっています。時々私のジョギングにも同行しておりますが、まだまだ危なっかしく、車の通る道ではヒヤヒヤしながら見ています。海幸丸は豊後水道南沖で操業中、明日早朝に入港します。

■人の盛衰は善悪とは別

盛衰を以って、人の善悪は、沙汰されぬ事なり。善悪は人の道なり。
されど、教訓の為には、盛衰を以って云うなり。

山本常朝

人の運命の盛衰によって、その人の善悪を論じることはできない。人の運命の盛衰は自然の運命によるものであり、善悪は人間の判断によるものだからである。しかしながら、教訓のためには、人の盛衰を善悪の結果のようにいうものである。

<山本常朝・田代陣基『葉隠・聞書第一「教訓」』>(徳間書店)より

大雨の教訓

夕方、自宅前から撮った宇和海です。近所の“日の丸みかん”の選果場も人の動きが随分とあわただしくなってきました。港町も年末へまっしぐら!という感じです。先日、某写真家に“にわか写真講座”を開いていただき、撮影の初歩的なコツを教えていただきました。ブログの写真もちょっとは上達するでしょうか?お楽しみに!

■大雨の教訓―思いきって濡れれば雨も苦にならぬ

大雨の戒めという事あり。途中ににわか雨にあい、濡れじとて道を急ぎ走り、軒下などを通りても、濡るることは替わらざるなり。初めより思いはまりて濡るる時、心に苦しみなく濡るる事は同じ。これ万づにわたる心得なり。

山本常朝

“大雨の教え”という心得がある。外出途中でにわか雨にあい、濡れまいとして道を急ぎ走り、軒下などを通ってみたところで、濡れることに変わりはない。最初から濡れるものと心にきめてかかれば、濡れても心は平静でいられる。この心得は万事に共通のものである。

<山本常朝・田代陣基『葉隠・聞書第一「教訓」』>(徳間書店)より

得意の時、失意の時

海幸丸は本早朝に入港しました。中2日の操業で水揚げ総数は2200箱あまり。今回は全国的な時化の影響もあって、ヤリイカの相場は“今季最高値”となりました。トロール船で水揚げされる魚には、鮮度や品質、色などによって3??4段階くらいの“等級”に選別して競り(セリ)にかけられます。丸魚の場合は、いわゆる上級品と下級品の価格差が大きいのですが、ヤリイカの場合は等級間の差が丸魚ほどにはありません。今回のように時化の影響で全国的に品薄の場合には、特に中??下級品の価格が下がらず、平均単価が上がる状況となります。同じ水揚げ量でも競りの日(入港日)が1日違うだけで、水揚げ金額は2割も3割も違ってくることもあるわけです。「“何とか”と相場には勝てん」という昔からの言葉がありますが、市場の競りの特徴を本当にうまく言い表したものです。

恩裡に由来害を生ず。故に快意の時、須らく早く頭を回(めぐら)すべし。
敗後に或いは反って功を成す。故に払心の処、便(すなわ)ち手を放つことなかれ。

洪自誠

人情は変わり易いので、恩恵を蒙っている時は、よく注意しないと、昔から不慮の災害が生じ易い。それ故に、満足して得意になっている時には、「坑竜悔いあり」で、よく前後を顧みて、禍にかからないようにしなければならない。また、失敗を重ねて努力するならば、かえって成功することがある。それ故に、思うようにならない時には、あきらめて投げ出してはいけない。
得意の時ほど危険な状況はないので一段と緊張し、失意の時は大いに忍耐すべきである。何事も百折不撓の勇猛心をもって、成し遂げなければならないという覚悟が必要である。

<洪自誠「菜根譚・前集十」久須本文雄訳>(講談社)より

時の流れを認めよ

午前中、大洲市のT小学校で授業を受け持ちました。といいましても本物の授業ではなく、課外授業のようなものです。松山市のNPO法人“ベンチャーアライアンス協会”が小学生を対象に企画している“ビジネス講座”です。大洲市の名産品である“お菓子”の商品企画から販売までを模擬体験してみようとの取り組みで、今回は5年生の授業に私が外部講師として招かれました。今日のテーマは“プレゼンテーション”でした。声は大きく、ハキハキと、伝えたいことの要点を絞って・・などと説明していますと、自分の話し方もじっくり観察されているようで?妙に緊張してしまいました。
午後からは、会社に戻って船員給与の計算や営業先の整理等々。海幸丸は明後日に入港して、再度ドックイン、燃費効率を高めるために2点目の船体改良を行います。乗組員はその間に“月末休み”の予定です。

時代の風というものは、かえられぬ事なり。段々と落ちさがり候は、世の末になりたる所なり。
一年の内、春計りにても夏計りにても同様にはなし。一日も同然なり。
されば今の世を、百年も以前の良き風になしたくても成らざることなり。
されば、その時代々々にて、よき様にするが肝要なり。
昔風を慕い候人に誤りあるは此処なり。合点これなき故なり。
又当世風計りと存じ候て、昔風を嫌い候人は、かへりまちもなくなるなりと。

山本常朝

時の流れというものは、かえることができない。次第に世の中が堕落してきたのも末世になったためであり、仕方のないことである。一年の間、春ばかりとか、夏ばかりとかいうことはありえない。一日の中においてもそうである。
従って今の世を、百年も昔のよい時代にしようと考えてもできることではない。だから、その時代時代に適応して、最もよいように努力する心がけが大切である。
昔風ばかりを慕う人の誤りはこの点が理解できないところにある。
そうかといって、当世の風ばかりをよいと思いこみ、昔風を嫌う人々は、思慮浅く、軽薄な心がけのものである。

<山本常朝・田代陣基『葉隠・聞書第二「教訓」』>(徳間書店)より

ヤリイカ2000箱!

引き続きヤリイカ漁が順調です。海幸丸は本早朝の入港予定でしたが、昨晩の漁獲量が予想以上に多かったため、夜中24:00にいったん八幡浜へ帰港。乗組員は荷揚げ開始の4:00過ぎまで、つかの間の休息をとりました。現在の海幸丸は16名体制ですが、昭和50年代のヤリイカ豊漁の時代には、一統二隻で20名から24名で操業していた時代もありました。船員の給与は完全歩合制、欠員手当の制度もあるため、仕事量に見合うだけの対価はあるわけですが、10数年ぶりのヤリイカ漁で若干疲労のたまっている船員も多い様子です。八幡浜魚市場での荷揚げは朝4:30から開始。今回の水揚総数はヤリイカ2000箱を含む2300箱でした。漁獲が多いのは”せいらしい”のですが、相場のほうは“イマイチ”・・!1箱あたりの単価では、先航海よりも約200円の下落でした。10月も残すところ3航海!11月になれば魚価も上がるはず!?です。もう“ひとふんばり”、頑張ってまいりましょう!次回入港は25日(水)の予定です。

自分でおこなった貴重な省察は、できるだけ早く書きとめておくべきである。これは、当然な心がけである。われわれは自分の体験でさえ時には忘れてしまうのであるから、まして自分が思索したことは、どれだけ忘れ去るか分からない。それに思想というものは、われわれの望みどおりの時にやってくるものではなく、気まぐれに去来するものなのである。
これに反して出来合いの形で外からうけとるもの、他人から学びとったものは、いつでもまた書物をさがして見つかるものであるから、書きとめないほうがよい。つまり、書き抜き帳は作らないほうがよい。何かを書きとめるということは、それを忘却にゆだねるということだからである。そして記憶力に対しては、甘やかして従順さを忘れさせることのないように、厳格な命令的な態度で臨むべきである。例えば、何かある事項とか詩句とか単語とかを思いだせないような時には、すぐ書物を検索してさがしたりせずに、何週間でも定期的に自分の記憶力に詰問して、それが責任を果たすまでやめないということが大切である。なぜなら、思いだすまでに長時間を要したものほど、あとになってそれだけ強く記憶にのこる。こうして苦労して自分の記憶の奥底から引きだしてきたものは、書物の助けをかりてよみがえらされたものよりも、次の機会にはずっと楽に利用できるようになるものである。

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「知性について」ショーペンハウエル著/細谷貞雄訳(岩波書店)より

遠交近攻

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今日は、中小企業支援センターの勤務日で大洲商工会議所へ。午後から御荘方面の相談先を訪問しました。19:00からは八幡浜青年会議所の次年度委員会の打合せに出席。委員長、副委員長とともに3名で、来年度に予定される青少年育成事業「いろは塾」について話し合いました。委員長の綿密な計画のおかげで、今のところ年間事業計画も順調に完成に向かっています。スムーズな進行、ありがとうございました。打合せは21:00すぎには終了、明日土曜は仕事が休みのため、その後街中へ向けて5km程度のジョギングに出かけました。

遠交近攻、という言葉は政策の提唱として発生した。遠い国と親しくして近い国つまり隣国を攻める画策である。しかしこの鮮明な表現は人間社会の構図を言い当てた洞察として理解できよう。近いものに対してほどいがみ合い、遠いものには仄かな期待を寄せるのが人情の常である。人間が最も悩まされるのは密接な関係にある近辺の誰彼との軋轢であって大抵の人が神経を磨り減らす。何か突発の事件であるなら、それを解決すれば一件落着となるが、近隣との間に生じる齟齬は次から次へと起こるので終結の時期がない。寧ろ深まる一方である。
??中略??
近世紀三百年、三百諸候の治める各藩は、お国自慢の変奏曲として、飽くことなく隣藩を罵り続けたのである。自分にとって近いものほど鼻持ちならぬと鬱屈する感情を抱くのは、実は自己愛の反映であろう。誰もがお互い自分に執着する度合いを少し減らせば、近攻の熱気が幾分かは静まるかもしれない。

谷沢 永一

「人間通」谷沢永一(新潮選書/1995)より

名誉は汚すな

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名は求む可からずといえども、また棄つ可らず。名を棄つれば、ここに実を棄つ。
故に非類に交りて以て名を壊る可らず。非分を犯して以て名を損す可らず。
権豪に近づきて以て名を貶す可からず。貨財に穢されて以て名を汚す可らず。

佐藤一斎

名誉は強いて求めるべきものではないが、いま持っている名誉を棄てるべきものでもない。
もし名誉を棄てることになれば、それは実を棄てることになるのである。
それで善くない人と交際して自分の名誉を台無しにしてはいけない。
身分不相応なことをして名誉を損じてはいけない。
権力があってすぐれた人に近よって、名誉を落としてはいけない。
金銭や財物のために節操を汚されて、名誉を傷つけることがあってはいけない。

<佐藤一斎「言志後録・二百二十」久須本文雄訳>(講談社)より

澄んだ水に魚はいない

早朝4:00に海幸丸が入港しました。”凪(なぎ)続き”で比較的近海モノも多いせいか、ヤリイカ、丸魚ともに相場は”今ひとつ”でした。この時期にしては若干相場が良かったのが、地元の名産品”かまぼこ”の原材料である”水エソ”でした。10月後半も今のペースで操業できれば良いのですが・・海幸丸は荷揚げ後すぐに出漁!次回入港は16日(月)の予定です。第15海幸丸は、16日午前に”走行試験”を実施いたします。

地の穢れたる者は多く物を生じ、水の清める者は常に魚なし。
故に君子は当に垢を含み汚を納るるの量を存すべく、潔を好み独り行うの操を持すすべからず。

洪自誠

塵埃などのあるきたない土地は、地味が肥えているので、作物がよく生育するが、水が余りに清く澄みきっていると、魚は棲息しないものである。君子もこの理を心得て、余り潔白すぎずに、清濁合わせ受け入れるだけのおおらかな度量がなければならない。余り潔白好きで、独り世俗に超然としてしているような節操を持つべきではない。小さな節操ではとても大事を成すことはできない。
度量が狭小で独善に流れることを戒めている。

<洪自誠「菜根譚・前集七十七」久須本文雄訳>(講談社)より

自然の風情を楽しむ

午前5:30に海幸丸が入港。台風の影響で全国的に魚の流通量が少ないためか、今日の八幡浜の相場は”まずまず”でした。海幸丸は午前11:00に出航。次回入港は9日(月)を予定しています。私のほうは、昼前から大洲の商工会議所、御荘のお取引先を訪ねて、夜は八幡浜で商店街の会合へ出席。終了後はまた近くの焼き鳥屋さんで”反省会”でした。明日はいよいよ幼稚園の”運動会”です!

風花の瀟洒、雲月の空清、ただ静者のみこれが主となる。
水木の栄枯、竹石の消長、独り間者のみその権を操る。

洪自誠

吹く風や咲く花のさっぱりとした心地よい趣や、降る雪や明月のすっきりとした清らかな趣は、ただ静寂を好む達道の人だけが、心行くまで眺め楽しむことができる。
水や草木が季節によって栄えたり衰えたりする自然の趣や、竹や石の四季にわたって変化する趣は、ただ閑静を好む人だけが、十分に鑑賞することができる。

<洪自誠「菜根譚・後集百」久須本文雄訳>(講談社)より

節を全うする

今日は丸一日、社内業務。久しぶりに数字と格闘しておりました。夕方、スポーツセンターへ寄って19:00からは八幡浜JCの例会へ。終了後は仕事の用件もあり、先輩と2人で食事に行きました。ついついいろんな話題で盛り上がってピッチよく飲んでいましたが、明日は早朝に海幸丸が入港するため、10:30には切り上げて帰宅しました。海幸丸は9月に引き続き、豊後水道沖でヤリイカ中心の操業を行っています。明日早朝の入港予定です。上は帰り際に自宅から眺めたお月様です。

恬静淵黙(てんせいえんもく)、身を潔くし節を全うする者あり、
生を偸みて苟活(こうかつ)し時と俘仰(ふぎょう)する者あり。
是れ皆真偽の明らかにし難く、疑似の弁え(わきまえ)得がたき者なり。

安政2年12月「居易堂集を読む」吉田松陰

日頃よりおっとりとして、口数は少ないが、自分の身を潔白に保ち、信念、みさおを守り続ける人がいる。
無為に人生を送り、一時的な安楽を貪り、時代の風潮に調子を合わせて生きる人がいる。これは、全て何が正しくて、何がまちがっているかを明らかにすることができない人、ホンモノと似ていてまぎらわしいニセモノを見抜くことができない人である。

「吉田松陰名語録」川口雅昭(致知出版社)より

愚直・無遠慮であれ

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早朝4:30に海幸丸が入港。今日で9月の操業が終了して、乗組員は明日まで月末の休みに入ります。明日は午前10:00に出航する予定です。私のほうは、午後から委嘱を受けている「OB人材マッチング事業」のコーディネータ会議(松山商工会議所)に出席。夜は八幡浜へ戻って、2月に参加した国際交流協会の海外研修事業の懇親会へ出席しました。早朝から深夜まで・・長い一日でした。皆様、お疲れ様でした!

世を渡ること浅ければ、点染もまた浅く、事を経ること深ければ機械もまた深し。
故に君子は、その練達ならんよりは、朴魯なるにしかず、その曲謹ならんよりは、疎狂なるにしかず。

洪自誠

世の中の生活経験が浅い者は、世俗の悪習に染まることも少ないが、人生経験を多く積んだものは、小才が利いて策略を弄することもまた多い。それで、人間たる者は、世事に熟達しているよりは、むしろ純朴で愚直なのがよい。なお、世事に細かく謹み深くあるよりは、むしろ世事に疎くて常識はずれなのがよい。

<洪自誠「菜根譚・前集二」久須本文雄訳>(講談社)より

臍下丹田に力を入れよ

”読書の秋、運動の秋”ということで、時間のある夕方はジョギングに励んでおります。11月には、”八幡浜トレイルランニング大会”も開催され、昨年に引き続き出場する予定です。八幡浜には、マウンテンバイクのオリンピック予選も行われた山林のMTBコースがあるのですが、その山の中を走るというものです。後輩に負けないように頑張ります!写真はジョギングコースの浜辺から見る宇和海。
夜は八幡浜JCの次年度委員会の”顔見せ会”に出席しました。スケールはちょっと違いますが、新組織といえば、いよいよ明日は安倍新内閣の組閣人事ですね。どんな布陣になるのか、期待しながら見守りたいです。

人身にて、臍を受気の帯と為せば、すなわち震気は此れよりして発しぬ。
宜しく実に臍下に蓄え、虚を臍上に入れ、呼吸は臍上と相消息し、筋力は臍下よりして運動すべし。
思慮云為、皆此れに根抵す。凡百の技能も亦多く此くの如し。

佐藤 一斎

人体についていえば、臍(へそ)というものが、気??元気、活動の根源??を受ける帯とすれば、生生とした陽気??震気??はこの臍から発動するのである。それで、気を臍下の所??気海丹田??に蓄え、臍の上を虚にして??力をぬいて??、呼吸はこの臍の上と相通じ、筋肉の力は臍の下の所??丹田??から発するようにして体を運動さすのがよい。物事を考えたりなしたりすることも、皆ここに根源をおくのである。あらゆる技能も総じて臍下丹田にもとづかないものはない。

<佐藤一斎「言志晩録・七十九」久須本文雄訳>(講談社)より

やむを得ざる勢い

秋分の日です。朝晩はずいぶんと涼しくなってとても気持ちのいい季節です。夕方のジョギングにはもってこいの時季ですね。写真は今日少し立ち寄った公園”八幡浜市双岩パーク”。
昨日放映の「四国羅針盤」は、やはり浜田漁労長が主役でした!船頭の日々の苦悩が伝わる番組内容でした。水揚げの評価は、通常月単位で行われますが、今回番組となった初航海には、一度のうちに大漁あり、故障あり、不漁あり。見ていただいた方には、日々のトロール漁の現場の様子がお分かりいただけたのではないでしょうか。さて、その海幸丸は只今、鹿児島沖から豊後水道南沖へ漁場を変えて操業中です。明日24日(日)早朝の入港予定です。

已むべからざるの勢いに動けば、すなわち動いて括(くく)られず。
曲ぐべからざるの途を践(ふ)めば、すなわち践んで危うからず。

佐藤一斎

已むに已まれない勢いで活動をしたならば、決して妨げられることなく自由に行動ができる。
曲げることのできない正しい道を践(ふ)み行うならば、危険なことがなく堂々と道を実践することができる。

<佐藤一斎「言志録・百二十五」久須本文雄訳>(講談社)より

使命に対する信念

今日と明日の2日間は、八幡浜魚市場が“休市”です。朝は用事があって家族で松山へ、夕方帰宅して日課のトレーニング後、9日の“豊予市”の打ち上げ(飲み会)に行きました。汗をかいた後は普段にも増してビールが進んでしまいます。幹事役のF営業主任、お世話になりました。大型台風が接近中です。海幸丸は明日早朝入港予定です。

組織に働く者は、組織の使命が社会において重要であり、他のあらゆるものの基盤であるとの信念をもたなければならない。この信念がなければ、いかなる組織といえども、自信と誇りを失い、成果をあげる能力を失う。

<P.F.ドラッカー「歴史の哲学」(上田惇生編訳)ダイアモンド社>より

瑣事と大事

早朝4:40に海幸丸が入港、ヤリイカ他600箱あまりの荷揚げを行いました。例年相場の上がらない9月ですが、現在のところヤリイカの水揚げが好調なのが救いです。今週は水曜日、金曜日と本船入港の予定です。午後は松山で一件会合、夕方は八幡浜に戻り、夜は青年会議所の第1回目の次年度理事会に出席しました。初回ということで今日は夜遅くまで懇親会でした。来年も一年よろしくお願いいたします。

日間の瑣事は、世俗に背かざること可なり。立身、操守は世俗に背くこと可なり。

佐藤一斎

日常における小さい??些細な??ことは、世間の風俗に反しないようにするがよい。
しかし、自分の目的を確立したり、節操を守っていくことは、世俗に反する所があってもよい。

<佐藤一斎「言志晩録・二四八」久須本文雄訳>(講談社)より

天道は徐(おもむ)ろに運行

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今日は、海幸丸の指定陸揚港である愛媛県愛南町(深浦港)の漁協へ、道具運びと漁期解禁のご挨拶へ参りました。豊後水道にヤリイカの漁場があって、ヤリイカが豊漁の年は、この深浦港で魚を転載して八幡浜で陸送することが多くなります。今年のヤリイカ豊漁を期待しています。海幸丸は明日早朝の入港予定です。
それにしても本日9月6日は、朝から“秋篠宮妃の男子ご出産”という大変おめでたい話題でもちきりです。日本全国民が待ちに待った、まさに待望の明るい一日となりました。あまりにおめでたいので鯛(たい)の写真を掲載します。

天道は漸を以ってめぐり、人事は漸を以って変ず。必至の勢いは、之を退けて遠ざからしむる能わず、また之を促して速やかならしむる能わず。

佐藤一斎

天道自然の道は徐(おもむ)ろに運行し、人間社会のあらゆる事がらはゆるやかに変転していく。そこには必ずそうなるべき情勢があって、これを退けて遠く離すこともできないし、またこれを急がせて速くしようとすることもできないものである。

<佐藤一斎「言志録・四」久須本文雄訳>(講談社)より

天意に従う心

午前中は宇和島市の社会保険事務所へ、船員保険料の算定基礎となる給与の説明に行きました。毎年出漁前の8月末に行ういわばルーティンワークで、ここ2年ほどご無沙汰していましたが、久しぶりに行ってきました。午後からは、市役所で行われた南予地域活性化懇話会の最終会合に出席。会を通じて、八幡浜青年会議所から提案させていただいた地域通貨「TEYA」は、県へ提出する主たる提案事項からは外れてしまい、今回は別枠での要望事項となりました。
今回の提案の柱となったのはやはり「みかんと魚」に関する一次産業の活性化策です。魚分野では、漁業協同組合から養殖マダイのブランド化に対する支援策の要望等が出され、提案事項として採択されました。養殖魚も近年は魚価安が続いているだけに、ぜひこのブランド化策がうまくいって、生産者と魚市場の活性化に寄与してもらいたいものです。同じ漁業者の立場として、計画の成功をお祈りしております!

凡そ事をなすには、須らく天に仕うるの心あるを要すべし。人に示すの念あるを要せず。

佐藤一斎

総じて事業をなすには、ぜひとも天(天神・天帝)意に従う敬虔な心を堅持することが肝要である。功を人に誇示し、自分の存在を社会に認めさせようとする気持があってはいけない。

<佐藤一斎「言志録・三」久須本文雄訳>(講談社)より

志あるものは

9:30から松山の某放送局で行われた研修に出席しました。知り合いの先輩とも出会いましたので、あれこれと近況報告。結局午後からも同じ研修の続きがあって、八幡浜到着は夕方となりました。会社では、船の予期せぬトラブルで、漁労長や機関長が集まってバタバタとしておりました。とりあえず明日メーカーさんも交えて解決することでいったん解散しました。28日仕卸宴会!!?それまでには準備万全でよろしくお願いします!

「その志の高さ、低さによって、男の価値は決まる。・・・志は塩のように溶けやすい。男子の生涯の苦渋というものは、その志の高さをいかに守りぬくかということにあり、それを守りぬく工夫は格別なものではなく、日常茶飯の自己規律にある。箸のあげおろしにも自分の仕方がなければならぬ。物のいい方、人とのつきあい方、息の吸い方、息の吐き方、酒ののみ方、あそび方、ふざけ方、すべてにその志を守るがための工夫によってつらぬかれておらなければならぬ。」

「峠」司馬遼太郎(新潮社)より

時が熱狂と偏見を

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終戦記念日ですが、朝からマスコミが大騒ぎです。司会者やコメンテータも「マスコミが悪い」、「騒ぎすぎ」といいながら、参拝を大げさに誇張する番組を作っているのは当の本人たちなのですが。
写真のパール博士の胸中やいかに・・
本日、20:00から八幡浜では夏祭りのフィナーレ「花火大会」が開催されます!

When time shall have softened passion and prejudice.,
When reason shall have stripped the mask from misrepresentation,
Then justice, holding evenly her scales, will require
Much of past censure and praise to change places.


時が熱狂と偏見をやわらげた暁にはまた理性が虚偽から
その假面をはぎとった暁にはその時こそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら
過去の賞罰の多くにそのところを変えることを要求するであろう

「パール博士の日本無罪論」田中正明著(慧文社)より

縦と横の学問?

午前中は家の頼まれ仕事、昼からは新しく購入するパソコンの設定をしていただきました。夕方はスポーツセンターで少しトレーニング、その後商店街の集まりに参加して会議終了後、友人H君と焼き鳥店で1杯、2杯・・同世代の友人ですが、仕事や地域とのかかわり、そのバランス等々、いろんな話をしました。お互い同じような立場で、日々試行錯誤や苦労もありますが、明るく元気に頑張っていきましょう!また是非飲みましょう!就寝前の愛読書から一語です。

博覧強記は聡明の横なり。精義入神は聡明の竪なり。

佐藤一斎

博覧強記は人を聡明にする横の学問であり、深く道理を探求して奥義をわきまえることは、人格を磨き上げる縦の学問である。

何事もよく知っているという博覧強記は学習によって横に広がるが、それは単に知識を知っているだけのことである。精義入神(道理を深く掘り下げること)は、いわば人間としての徳を磨く修養の学である。
どちらも大切であるが、西郷は前者を「本の虫」として蔑み、自分は一身に篤実だけを身につけた。
「徳は才に優れり」というように、人間としては後者のほうに軍配が上がる。

<佐藤一斎「言志録・百四十四」岬龍一郎訳>(PHP)より

忙も閑もほどほどに

人生はなはだ閑なれば、すなわち別念ひそかに生ず。
はなはだ忙なれば、すなわち真性現れず。
ゆえに士君子は、身心の憂いを抱かざるべからず、また風月の趣に耽らざるべからず。

洪自誠

あまりに暇がありすぎれば、かえってよからぬ雑念が沸きおこるし、あまりに忙しすぎても、かえって自分の本心にめざめられない。
身心を使って苦労することは大切だが、同時に風流の道を楽しむことも大切。
これが君子としての心がけだ。

<洪自誠「菜根譚・後集百十七」>(徳間書店)より

愛児への便り

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予想通り極度の“全身筋肉痛”でとてもつらい一日でした。先ほど“TVタックル”を見ていました。それにしても、先日発表された日経新聞の“昭和天皇のご発言”(富田メモ)は、タイミングからみても不可解な点が多すぎます。中国、韓国のご機嫌を伺う経済界や“A級戦犯?”分祀派の政治家、同調するマスコミ等の組織的な”何か”を感じてしまいます。今回のメモを“政治利用”することだけは避けてほしいと思いますし、公式発言でない”メモ”をあたかも“重大発言”のように騒ぎ立てるマスコミにも疑問を感じます。

「愛児への便り」(遺書) 

海軍大尉 植村真久 命

神風特別攻撃隊大和隊
昭和19年10月26日
比島海域にて戦死
東京都出身 立教大学卒 25歳

 素子、素子は私の顔をよく見て笑いましたよ。私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入ったこともありました。素子が大きくなって私のことが知りたい時は、お前のお母さん、佳代伯母様に私の事をよくお聴きなさい。
 私の写真帳もお前の為に家に残してあります。素子という名前は私がつけたのです。素直な、心の優しい、思いやりの深い人になるようにと思って、お父様が考えたのです。
 私は、お前が大きくなって、立派な花嫁さんになって、仕合せになったのを見届けたいのですが、若しお前が私を見知らぬまま死んでしまっても、決して悲しんではなりません。
 お前が大きくなって、父に会いたい時は九段へいらっしゃい。そして心に深く念ずれば、必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮びますよ。父はお前は幸福ものと思います。生まれながらにして父に生きうつしだし、他の人々も素子ちゃんをみると真久さんに会っているような気がするとよく申されていた。またお前の伯父様、伯母様は、お前を唯一つの希望にしてお前を可愛がって下さるし、お母さんも亦、御自分の全生涯をかけて只今素子の幸福のみを念じて生き抜いて下さるのです。必ず私に万一のことがあっても親なし子などと思ってはなりません。父は常に素子の身辺を護って居ります。優しくて人に可愛がられる人になって下さい。
 お前が大きくなって私の事を考え始めた時に、この便りを読んで貰いなさい。

 昭和19年○月吉日
 植村素子へ
 追伸、素子が生まれたときおもちゃにしていた人形は、お父さんが頂いて自分の飛行機にお守りにして居ります。だから素子はお父さんと一緒にいたわけです。素子が知らずにいると困りますから教えてあげます。

現代仮名修正は筆者(宮本)
「英霊の言乃葉??社頭掲示集第一号」(靖国神社発行)より

海軍中将 大西瀧治郎

今日の南予地域は、日中久しぶりに雨が上がり、少しですが晴れ間も見えました。今日は午前中、漁具整備の見学と写真撮影、午後からは、商工会館で行われた「てやてやウェーブ」(8月12日に行われる地元の祭り)の代表者会議に出席、その後は事務所で書類作成と整理などをしておりました。
夕方は日課のジョギング約4.5キロ、汗をかくのは良いのですが、その分ついついビールを飲みすぎてしまいます。これではトレーニングの効果もプラスマイナスゼロでしょうか?
今日は就寝前の愛読書から一語(一会?)をご紹介します。

「特攻隊の英霊に申す 善く戦いたり 深謝す 最後の勝利を信じつつ 肉弾として散華せり
 然れどもその信念は 遂に達成し得ざるに至れり 吾死を以て旧部下の英霊とその遺族に謝せんとす
 次に一般青壮年に告ぐ 我が死にして軽挙は 利敵行為なるを思ひ 聖旨に副い奉り
 自重忍苦するの誠とも ならば幸なり 隠忍するとも日本人たるの 矜持を失ふ勿れ
 諸子は国の宝なり 平時にして処し克く 特攻精神を堅持し
 日本民族の福祉と 世界人類平和の為 最善を尽くせよ」

昭和20年8月16日 海軍中将大西瀧治郎 自決前、特攻で散った英霊と青年に宛てた遺書

「戦士の遺書」??太平洋戦争に散った勇者たちの叫び??半藤一利(文芸春秋)より
写真は昭和32年発行「大西瀧治郎」(故大西瀧治郎海軍中将伝刊行会)

「心は事外に超越」

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波浪の天を兼ぬるや、舟中恐るるを知らずして、舟外の者心を寒くす。
娼狂(しょうきょう)の座を罵るや、席上警(いまし)むるを知らずして、席外の者舌を咬む。
故に君子は、身は事中に在りと雖(いえど)も、心は事外に越えんことを要す。

洪自誠

海が荒れて大波が天までもとどく場合でも、舟に乗っている人は、その恐ろしさに気づかずに平気でいるが、舟の外すなわち陸上で見ている者の方が、かえって肝を冷やしている。
酒に酔ってたけり狂い、満座の人を罵倒している時でも、仲間の者は多少酔っているので別に気にはしないが、そばで見ている者の方が、かえって苦々しく思っている。
それと同じく、世の中の事は総じて局に当たる者は、その真相が分からないものである。
それで、君子たる者は、身は物事の中にあっても、心だけは常に物事の外に超然としていることが肝要である。

<洪自誠「菜根譚・後集百三十」久須本文雄訳>(講談社)より

「実事を探究」

一部の歴史は、皆形跡(けいせき)を伝うれども、而も(しかも)情実は或いは伝わらず。
史を読む者は、須らく形跡に就きて以て情実を討(たず)ね出すを要すべし。

佐藤一斎

一部の歴史は、文字に書かれた表面の現象だけなので、内部に隠された真相は伝わってこない。
したがって、歴史を読む者は、その現象から隠されている真相を探し出す必要がある。

<佐藤一斎「言志録・百四十一」岬龍一郎訳>(PHP)より

「事を処理するには(二)」

将(まさ)に事を処せんとせば、当(まさ)に先ず略其(おおよそ)の大体如何を視て、然る後漸漸に以って精密の処に至るべくんば可なり。

佐藤一斎

物事を解決するには、まず、全体がどうなっているのかを調べ、その後、だんだんと細かいところに突き進んでいくのがよい。

<佐藤一斎「言志後録・六十二」岬龍一郎訳>(PHP)より

⇒ 「着眼大局、着手小局」

⇔ 「鹿を追って山を見ず」

「花三態」

富貴名誉の、道徳より来たるは、山林中の花のごとし。おのずからこれ叙徐繁えん(じょじょはんえん)す。
功業より来たるは、盆檻中の花のごとし。すなわち遷徒廃興(せんしはいこう)あり。
もし権力をもって得るは、瓶鉢中の花のごとし。その根植えざれば、その萎むこと立って待つべし。

洪自誠

すぐれた人格によって得た地位名誉は山野に咲く花。放っておいても伸び伸びと育つ。
功績によって得た地位名誉は鉢植えの花。ご主人の気持ち次第で植えかえられたり、捨てられたり。
権力にとり入って得た地位名誉は花瓶にさした花。見ているうちに、たちまちしおれる。

<洪自誠「菜根譚・前集六十」>(徳間書店)より

「狭い門」

「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々としていて、そこから入る者が多いのだ。
しかし生命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見出す者は少ない。」

<「新約聖書/共同訳・全注」マタイオスによる福音7>(講談社学術文庫)より

「主体性の確立」

忙裏に閑をぬすまんことを要せば、須らく先ず閑事に向かって個の刀柄(はへい)をたずぬべし。
どう中に静を取らんことを要せば、須らくまず静処より個の主宰を立つべし。
然らざれば、未だ境に因って遷り、事に随ってなびかざる者はあらず。

洪自誠

忙しい中に強いて心の余裕を求めようとするには、まず平生閑暇な時に、心を安定させるように心がけておかなければいけない。
また、騒がしい所で静けさを得ようとするには、まず静かな所におる時に、本心をしっかりと打ち立てておくようにしなければならない。
そのようにしなければ、常に心が環境に従って移り変わり、物事に追いまわされてしまうことになる。
決して忙中に閑、動中に静を得ることはできない。

<洪自誠「菜根譚・前集百八十二」久須本文雄訳>(講談社)より

「目的の確立」

緊しく(堅く)此の志を立てて以って之を求めば、薪を運び水を運ぶといえども、亦是れ学のある所なり。
況や書を読み理を窮むるをや。
志の立たざれば、終日読書に従事するも、亦唯だ是れ閑事のみ。
故に学を為すは志を立つるより尚とき(貴き)はなし。

佐藤一斎

しっかりと志??目的??を確立して、これをどこまでも追求する時は、たとえ薪や水を運んだりする日常平凡な事でも、学ぶべきものが存在するのである。まして読書したり物事の道理を推し窮めることなどにおいては、なおさらのことである。
しかし、志が確立されていなければ、一日中読書していても、それはただ無駄ごとに過ぎない。それ故に、学問をするには、まず第一に志を確立するよりも大切なことはない。

<佐藤一斎「言志録・三十二」久須本文雄訳>(講談社)より

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