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2008年08月24日
[ⅳ 読書日記]論語と算盤
昨日、今日と八幡浜JC主催の「いろは塾」、今回は環境(エコ)をテーマに、一泊のキャンプで行われ、約100名の小学生が参加しました。私の担当は8班(13名)の活動のお手伝い、昨晩はとても美味しい8班特製、ハエも必殺肉じゃがカレー!?(大人気&完売のためお見せできないのが残念です・・)もいただきましたし、今朝は嵐のような豆腐作りも体験しました。子供のパワーに精気を吸い取られながらも、午後からはたまった本や書類整理等々もしております。また明日からは新しい一週間、31日の海幸丸出漁は18:00で決定しました。
事業と道徳、実業道と武士道の両立を唱えて、生涯に500余りの会社を創って、日本資本主義の礎を築いたといわれる渋沢栄一。氏の書き残した論語関連の本を数点、少しずつですが読んでいます。難解な部分もあって、なかなか私の頭には入ってこないのですが、この類の本は繰り返し読んで心の滋養とするのが良いものと思われます。今日ようやく読み終えたのが、こちらの「論語と算盤」という本。とてもためにもなるし眠くもなる、場合によっては枕にもなる・・?就寝前にはとっておきの一冊です。

「論語と算盤」渋沢栄一著(国書刊行会)
およそ人として世に処するに際し、常識はいずれの地位にも必要で、またいずれの場合にも欠けてはならぬことである。しからば常識とはいかなるものであろうか、余は次のごとく解釈する。
すなわち事に当たりて奇矯に馳せず、頑固に陥らず、ぜひ善悪を見わけ、利害得失を識別し、言語挙動すべて中庸に適うものがそれである、これを学理的に解釈すれば「智、情、意」の三者が各々権衡を保ち、平等に発達したものが完全の常識だろうと考える。
(中略)
「情」というものを巧みに按排しなければ、智の能力をして十分に発揮せしむることはできないのである。(中略)由来智恵が十分に働く人は、何事に対しても一見してその原因結果の理を明らかにすることができ、事物の見透しがつくのであるが、かかる人物にしてもし情愛がなかったら堪ったものではない、その見透した終局までの事理を害用し、自己本位をもってどこまでもやり通す、この場合他人の迷惑や難儀なぞがいかにこようとも、何とも思わぬほど極端になってしまう、そこの不権衡を調和してゆくものがすなわち情である、情は一つの緩和剤で何事もこの一味の調合によって平均を保ち、人生のことにすべて円満なる解決を告げてゆくものである。
このゆえに人間にとっては「情」は欠くべからざる一機能である、しかしながら情の欠点はもっとも感動の早いものであるから、悪くすると動きやすいようになる、心の他の局面においてこれを制裁するものがなければ、感情に走りすぎるの弊が起こる、ここにおいてか始めて「意志」なるものの必要が生じてくるのである。
動きやすい情を控制するものは強固なる意志よりほかはない。(中略)意志の強固なるが上に聡明なる智恵を加味し、これを調節するに情愛をもってし、この三者を適度に調合したものを大きく発達せしめていったのが、始めて完全なる常識となるのである、現代の人はよく口癖のように意志を強く持てというが、意志ばかり強くてもやっぱり困りもので、俗にいう「猪武者」のような者になっては、いかに意志が強くても社会にあまり有用の人物とはいえないのである。
「論語と算盤」常識と習慣より
常識とは、智、情、意の均衡(バランス)・・、深いです。
この他にもメモのポイントは盛りだくさんでしたが、また時間のあるときに復習いたします。
今日は体も動かさねば・・。
投稿者 E.miyamoto : 2008年08月24日 15:42
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