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2008年02月05日

[ⅳ 読書日記]

渋沢栄一 論語の読み方

昨日出漁の海幸丸、目下“土佐沖”の漁場にて操業中です。現在のところ、白ムツやゼンゴ(小アジ)等、原材料中心の漁ですが、明日以降はマダイやチダイ、カマスといった丸魚を狙った漁も計画しています。次回入船は修理の関係もあって7日にほぼ確定!です。久しぶりに色とりどりの、高知ならではの豊富な魚種に期待したいところです。

最近、なかなかまとまった時間がなくて読書の時間がとれません・・というのは言い訳ですが、年明けから少しずつ読み進めているのがこちらの「渋沢栄一・論語の読み方」(竹内均編)という本です。以前から興味はあったのですが、大著「論語講義」にはなかなか手を出す勇気がなくて、まずはこちらの“簡易版”を購入してみました。2600年も前に語られた!とは信じがたい普遍的な教えの数々、また実業家という視点からの渋沢栄一の解説の奥深さにただただ驚くばかりです。

これまでは大手書店でも「四書五経」の関連は、遠巻きにチラリ・・という感じできていました。
こんなことならもっと早くから親しんでおくべきだった・・と、今さらながら反省しております。

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こちらはその論語からの一節です。


子曰く、君子は争う所なし。必ずや射か。
揖譲(ゆうじょう)してしかして升り下り、而して飲ましむ。
その争いや君子。


渋沢の訳では、

貴族たる者は、けっして人と競争しない。ただ、弓道だけは例外である。堂に上り主人に挨拶するとき、庭に下がって弓を射るとき、お互いに会釈し譲り合う。そして勝者に酒をご馳走する。この競争のしかたこそ本当に貴族らしい。(揖は両手を前に組み合わせて会釈する中国独特のお辞儀、升は殿上にのぼることである)

となります。(同著P70より)

人と争うことについて、絶対に争いを排斥しようとする考え方と、正しい争いは絶対に避けてはいけないとする考え方の2つがあって、ここで著者が主張しているのは後者、つまり正理正道を貫くための争いは気品を持って生きていくためには不可欠、ということです。
当然といえば当然ですが、ついつい争わないのが大人の振る舞い、とばかりに主張すべきタイミングを逃してしまって事態は予期せぬ方向に・・ということも稀にあります。細かなことまで、何にでも全て己の主義主張を曲げない、というのは困ったものですが、「閾値」ではないですが自分で守るべき分野と限界点を見定めて、それを守るためには争いも議論も辞さない、という覚悟と姿勢は、自らのアイデンティティを堅持するためには、とても大切なことではないでしょうか。

本稿で著者も言っていますが、

「人は老いたときと若いときとの別なく、いつも守るべき主張がなければならない。そうでなければ人の一生は、まったく無意味なものになってしまう。あまりに柔弱になりすぎては、人としてまったく気力も品位もないものになってしまう。(中略)若者が、一に円満、二にも争いを避けようというような精神で世に立つと自然卑屈に流れてしまう。みだりに人に服従せず、他人と争って正しい勝ちを制するという精神があればこそ、進歩発達を得ることができるのだ・・」

まさに至言ではないでしょうか。これは“男の生き方”という意味ではもちろん、広くはスポーツであれ企業社会であれあてはまる、原理原則です。守るべきものを賭した闘い、正当な場、自らが臨むべきフィールドでのルールに則ったフェアな競争、そしてその結果の“正当な勝ち”!!常に目指したいものです。

そのためには、やはり日々の心身の鍛錬が必要ということでしょうか・・?
というわけで、まずは手っ取り早く身体から・・?
身体の基本は走りこみ・・?走るといえば、10日の駅伝カーニバル・・?
結局、行き着くところはそこですか・・?
こちらも“勝ち”にこだわりたいですね??!!

といいながら、つい先ほどまで論語を読みながら晩酌・・してました。
やれやれです。こんな自分こそ“論語読みの論語知らず”へまっしぐら!でしょうか。

ちなみに、こちらの書籍、まだ読了していません。また後日、詳しくご紹介したいと思います。
ではお休みなさいませ。

投稿者 E.miyamoto : 2008年02月05日 23:11

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