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2007年09月16日
[ⅳ 読書日記]ひとすじの蛍火

八幡浜魚市場も珍しく連休、昨晩のアルコールを抜くために!?体を動かそうかと思っていましたが、あいにくの雨、で結局夕方に図書館へ行ってきました。おかげで、ようやく読み終えたのがこちらの新書「ひとすじの蛍火―吉田松陰 人とことば―」(産経新聞連載)です。ご存知「松下村塾」の指導者で、わずか30年の生涯で多くの英傑を育て上げた、その濃い人生から発せられた珠玉の“ことば”を通して、真直ぐに生きぬいた松蔭の生涯を辿る、そんな感じの本でした。
以下、少しだけ読書のメモです。
「空理を弄(もてあそ)び実事を忽(ゆるが)せにするは学者の通弊なり」 ―安政2年11月「講孟余話」―
25歳の時のことばだそうですが、理論よりも実践を重んじた吉田松陰らしいことばです。松蔭は生涯において、多くの人物と巡り合いながらも、自ら師と呼んだ人は少なかったようです。著名なところでは、山鹿素行、佐久間象山がいますが、幼少期に教育を受けた叔父の玉木文之進は、指導のためなら折檻(せっかん)もいとわない筋金入りの教育者だったようです。朱子学者でもあった文之進によれば、学問は「小学」と「大学」に大別されるそうで、前者は幼少で身に付けるべき礼儀や教養、後者は、「小学」をおさめた後に、抽象的な道理をきわめていくことがあたるそうです。後に日露戦争で名を馳せた乃木希典も、松蔭と同様に文之進の門弟だったようです。
こんな言葉もあります。
「学は得否にあり」 ―安政3年5月「講孟余話」―
最初の江戸への遊学から5年後の松蔭の言葉。以下は著者関厚夫氏の意訳です。
「井戸は、深く掘るか浅く掘るかが問題ではなく、その水の量が肝心である。同じように、学問は一生をささげるべき対象ではあるが、学問に勤めた結果、道を得られたか否かが肝心であって、“学問に勤める”こと自体は問題ではない」
ついつい「知識を得る」こと自体が目的になってしまう読書や勉強・・、その知識を実践に活かして、且つ結果(道)を得てこそ、意味を成す。
こちらも肝に銘じたい言葉です。「知行合一」にも通じます。
まだまだメモしておきたいポイントは山ほどあるのですが、一度にはまとめきれませんので、今回は本書のさわりだけで。
また、当「一魚一会」ネタ不足の危機のためにとっておくとします。
それにしても教育(私の場合は子育て・・?参加していない・・?)は難しいものです。本書とはレベルもラベルも違いすぎますが・・!!
以上、読了記念に書籍情報も掲載しておきます。

「ひとすじの蛍火」―吉田松陰 人とことば― 関厚夫著(文藝春秋発行)1260円です!
投稿者 E.miyamoto : 2007年09月16日 23:40
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