2006年10月30日
[ⅰ 一語一会]時の流れを認めよ
午前中、大洲市のT小学校で授業を受け持ちました。といいましても本物の授業ではなく、課外授業のようなものです。松山市のNPO法人“ベンチャーアライアンス協会”が小学生を対象に企画している“ビジネス講座”です。大洲市の名産品である“お菓子”の商品企画から販売までを模擬体験してみようとの取り組みで、今回は5年生の授業に私が外部講師として招かれました。今日のテーマは“プレゼンテーション”でした。声は大きく、ハキハキと、伝えたいことの要点を絞って・・などと説明していますと、自分の話し方もじっくり観察されているようで?妙に緊張してしまいました。
午後からは、会社に戻って船員給与の計算や営業先の整理等々。海幸丸は明後日に入港して、再度ドックイン、燃費効率を高めるために2点目の船体改良を行います。乗組員はその間に“月末休み”の予定です。
時代の風というものは、かえられぬ事なり。段々と落ちさがり候は、世の末になりたる所なり。
一年の内、春計りにても夏計りにても同様にはなし。一日も同然なり。
されば今の世を、百年も以前の良き風になしたくても成らざることなり。
されば、その時代々々にて、よき様にするが肝要なり。
昔風を慕い候人に誤りあるは此処なり。合点これなき故なり。
又当世風計りと存じ候て、昔風を嫌い候人は、かへりまちもなくなるなりと。
山本常朝
時の流れというものは、かえることができない。次第に世の中が堕落してきたのも末世になったためであり、仕方のないことである。一年の間、春ばかりとか、夏ばかりとかいうことはありえない。一日の中においてもそうである。
従って今の世を、百年も昔のよい時代にしようと考えてもできることではない。だから、その時代時代に適応して、最もよいように努力する心がけが大切である。
昔風ばかりを慕う人の誤りはこの点が理解できないところにある。
そうかといって、当世の風ばかりをよいと思いこみ、昔風を嫌う人々は、思慮浅く、軽薄な心がけのものである。
<山本常朝・田代陣基『葉隠・聞書第二「教訓」』>(徳間書店)より
投稿者 E.miyamoto : 2006年10月30日 23:41
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